大きな物語としての戦後教育

asin:4895245632:detail
 このなかで、長尾彰夫氏は次のように述べている。

 現在、わが国の教育状況は構造的変化ともいえる大きな「改革期」にある。「新しい学力観」の提唱、高校教育の再編成、学校五日制の導入、等々はいずれも、そうした構造的変化のあざやかな断面となっている。まさしく、わが国の近代(明治)以降の「第三の教育改革」の渦中にあるといえよう。
 端的にいえば、現在は「戦後(民主)教育」を形づくってきた諸理論の構造的な転換がもはや避けえない現実となってきた時代なのである。平成の新教育ともいうべき「新しい学力観」の跳梁は、「戦後(民主)教育」における「戦後新教育」批判の質を改めて問うことになっている。第十四期中教審答申にみられた後期中等教育の「改革」は、「戦後(民主)教育」における能力主義・多様化批判の水準をもはや超えてしまったのではないか。早晩おとずれる完全五日制の下では、「戦後(民主)教育」が唱えつづけてきた「地域の教育力」なるものが、実は「空念仏」にすぎなかったことを証明しかねないのである。
 いまさらのように「戦後(民主)教育」の終焉を嘆き悲しもうというのではない。ただし、そこには「戦後(民主)教育」というそれこそ「大きな物語」の終焉があることは、たしかなことなのである。

そして、次のように述べる。

 いうまでもなく、現在、カリキュラムをめぐってのポリティックス(この場合のポリティックスとは、限定された国家権力による直接的な政治的支配といったことではなく、現実のカリキュラムを創り出しているさまざまな立場と権力、それらが織りあげている関係の総体である)は、きわめて複雑化してきている。新保守主義新自由主義に基づく教育政策の展開は、こうした状況に一層の拍車をかけることになっている。いや、そうした新しい現代の教育政策の展開は、すでにポストモダン的状況を先取りしているのである。冒頭に述べた「新しい学力観」の提唱、高校教育の再編成、学校五日制の導入、等々は、こうした文脈においてこそとらえられなければならない。

 現在の状況が、長尾氏の言う「「戦後(民主)教育」というそれこそ「大きな物語」の終焉」であるとしたら、その戦後教育をいかに始末をつけるかというのは一つの大きな課題となるのではないか。