ためにならないものを黙らせる、止めさせるための法改正

利上げなら、日銀法改正も検討…自民幹事長

 自民党の中川幹事長は14日、愛知県豊川市で講演し、日銀による追加利上げの検討に関して「政府には(日銀金融政策決定会合の議決を延期するように求める)議決延期請求権を行使する義務がある」と述べ、日銀をけん制した。
 仮に請求が否決された場合は「重大な法制度の欠陥ととらえざるを得ない」として、日銀法改正も検討する考えを示唆した。
 また、「政府と(日銀が)政策目標を共有させることすら日銀の独立性を侵すものだという間違った解釈は、戦前戦中の軍部の(政府から独立しているという)主張を想起させる」と語った。

 自分たちのためにならないようなことを言う、やるようなものに対しては、法改正をして黙らせる、止めさせるというのが今の政治家たちの発想なのかもしれない。同じことが教育基本法の改正でも言える。
 例えば、日銀の独立というのを「教育の独立」というのと置き換えて考えると、教育の独立を守るために改正前の教育基本法はあった。その「教育の独立」というのを、この記事のように、自分たちにとって都合のいい解釈をし、教育基本法は改正され、あっという間に「教育の独立」という言葉は、行政組織図上別々にあるべきという意味に変わってしまった。教育と政治との距離はなくなり、いつでも好きなように政治が介入できる状況になった。
 政治家は、法律を作る、廃止する、改正するということをものすごく軽視しているのではないか。自分たちにとって都合が悪いからということでいくらでもそういうものを行使できると考えている。
 前にも小林節氏がhttp://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index.htmlで述べていることを引用したが、今回も引用しておきたい。

編集部 専門家と言われる人たちの中にも、「立憲主義という見方もあるけれども…」という、あくまで、立憲主義が、一つの見方だというような言い方をする人がいますよね。

小林 一つの見方って、それしかないんだけどね(笑)。彼らは、歴史に学んでいないんです。人間というのはみんなで共同生活をするに当たって、専門の管理会社みたいなもの、国をつくるわけです。人間は一人ひとりバラバラでは生きていけないから、国家というサービス管理会社がある中で共同生活をして生きていくわけです。そうすると、国家というものは、個人の次元を超えた強大なる統制権を持たないと、交通違反一つだって取り締まれない。
 かつては、その強大な権力を、一人の個人や家が独占していた時代がありました。すると例外なく、権力は堕落していきます。それは人間が不完全なものだからです。そういった失敗の歴史を経て、我々は学び、長く放っておけば必ず堕落する権力というものに、たがをはめるために、憲法が作られたものなのです。

 しかし、自民党の二世、三世議員、世襲で権力者の階級になっているような人たちは、「自分たちは間違えない」と勝手に思い込んでいる。なぜかというと、自分たちこそが権力であり、判断基準だから。民主主義の制度の中では、権力は永遠じゃないのに、自分たちは永遠に権力の座にいる気なんですね。

 生まれたときからおじいちゃんは国会議員、お父さんも国会議員、そして自分も当選したという人たちですから、権力を離さないし絶対に間違えない、という前提がある。だから、自分たちを管理するという立憲主義の発想にはすごく抵抗があるんだろうね。

 そうこうしているうちに、社会ではさまざまな異常な事件が起こる。そうすると、「世の中が間違っている、国民を躾けなきゃいけない」政治家は法律をつくるのが仕事で、法の法たる最高のものは憲法だから、憲法で取り締まればいい――となる。そして、国民は国を愛する心を持つように・・・とか、家庭における役割分担をきちんと考えよう・・・とか。これでは明治憲法下で神たる主権者=天皇が「告文」に始まる大日本帝国憲法で、国民に説教をしていたのと同じです。
 そういった最低限の歴史的教養も、国家論的教養もないんですよ。それで憲法改正を論じているのは、傲慢以外の何物でもない。