教育不安社会言説の典型例

[日本の選択]「新『教育改革』の元年とせよ “ゆとり”との最終決別を」

 すでに、KOYASUさんが批判をされているが、この社説で述べられていることには根拠がない。
 先日もこの社説のような「反ゆとり教育論」を批判したが、この社説はまさにその典型例で、「ゆとり教育」なるものがいったいなんだったのか全く検証しないまま批判を行い、その反対を行えばいいという安直な解決策を提示している。
 社説では、週5日制の導入が、

 「子どもが家庭や地域社会で過ごす時間を増やし、自ら学び考え、生きる力をはぐくむ」のが目的だ。土曜日に生活体験、社会体験、自然体験などをさせる。そのための「受け皿」作りと大人の意識改革が求められた。

と述べている。その一方で、

 文科省幹部も言う。「嫌なら教師は土曜日、学校へ来なくていい。教員志望の学生や教員OB、地域の人たちの力で学校を再生させるチャンスだ」

というばかげた発言を紹介している。文部官僚の発言を本当に真に受けるなら、土曜日の授業復活は必要ない。なぜなら、土曜日は教員が授業を行わずに、住民などによる学習塾をやろうというのだから。社説では、子どもが塾を身の置き場にしていると述べているが、文部官僚の発言では塾から学校へと身の置き場が変わっただけであり、子どもにとって大きな変化はない。
 社説では、規制改革・民間開放推進会議が教育の問題に口出しすることを批判している。しかし、教育再生会議はその規制改革・民間開放推進会議と一体であり、主張していることも同じだ。社説では、教育再生会議

 そんな中、「美しい国」づくりを目指す安倍首相が、政権の目玉として創設したのが「教育再生会議」だった。
 首相や官邸主導の教育改革は中曽根内閣の臨時教育審議会、小渕〜森内閣の教育改革国民会議以来である。文科省中央教育審議会による“官製改革”とは、ひと味違う提言が期待された。
 「すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障するため、公教育を再生する」。首相はそう言ったが、現実の道のりは険しいようだ。

と一定の評価をしている。この矛盾は一体何なのだろうか。
 この社説は、教育が危機状態である、文部科学省は有効な政策を打ち出せないと言い、自分たちの主張(非常にばかげた主張)を正当化し、彼らのいう「教育再生」を実現しようとしている。まさに「教育不安社会」の言説の典型例だ。こういう言説に対してきちんと反論していかないと、それがいつの間にか公定の意見だとされ、常識と言われるようになってしまう。