当時よりも後退している議論

 澤田牛麿氏が帝国議会で現行教育基本法に対する質疑の中で次のように述べている。いくつか引用したい。

 只今上程になつて居りまする教育基本法と云ふものは、私共は實に數年貴族院に列して居りまするけれども、初めて會つた珍しい法案であります、仍て一言疑問のある所を申述べて御答辯を得たいと思ひます、結論から端的に申しますと、此の法案は法案ぢやなくて、説法ではないかと私は思ひます、説教ではないかと思ひます、法律と道徳との分野は、是は私が喋々する迄もなく決つて居ることでありまして、倫理の講義や國民の心得などと云ふことを一々法律で規定する必要はなからうと思ひます、それよりはもつと法律と云ふものは進んで居るものと私は法學生の一人として思ふのであります、さう云ふ點に付て此の立案者は非常に倫理の講義が好きな傾向を持つて居るやうでありまするが、さう迄にしなくちやならぬものであらうか

 順序を餘り立てずに質問を申すのですが、「第一條教育の目的」、是は先程佐々木博士も言はれましたが、教育の目的などと云ふことは教育學か何かの理論であつて、教育は、例へば人格を養成するとか、或は此の代の文明を次の代に移し行く爲のプロセスであるとか、色々な學説があるでせうが、そんなことは何も法律で決めなくても、學説で決めれば宜いのであつて、又色色の説き方があるので面白いのであつて、教育の目的なんと云ふことを法律で決めることは私は無理だと思ふ、是は法律の規定の範圍外だと思ふのであります

 成る程憲法と云ふものは、稍稍政治的の分子が非常に多いものであるから、或は空言、空理、空想、理想を述べてもそれは宜いかも知れぬけれども、苟も法律となつて、的確な法規を定むべき一つの形式となつてはそんなに空理、空論を述べて居るものではないと思ふ、私は其の説法をすると云ふことは甚だ國民を侮辱したことであると思ふ、文部大臣も是は宣言であると言はれ、或は理念であると言はれた、宣言とか理念と云ふものは内閣總理大臣の演説でも宜しいし、教育勅語に代りたいと思ふならば、新憲法に依つて大變偉くなつて來た總理大臣が居るから、其の總理大臣が演説をすればそれで宜しい、法律で以てさう云ふことを決めなければならぬと云ふことは何處にあるのであるか、それは私は日本國民を侮辱した觀念ではないかと、甚だ其の點に付て疑を持つのであります

 澤田氏は、現行の教育基本法をこう言いながら批判している。しかし、少なくとも今回の政府案の質疑では、こういうような質疑は行われなかった。澤田氏は、根本的な部分まで遡って批判をしている。だから、こういう批判には頷ける点がある。しかし、衆議院の特別委員会では、そういう質疑は行われなかった。澤田氏が批判したような部分、例えば法律に徳目を書き込むべきかどうかという問題は、大きな問題にならなかった。
 そういう審議でいったい何が明らかになったというのだろう。100時間もかけながら60年以上前より後退した質疑を行っている。
 今「規範意識」が低下している。教育基本法を改正して規範意識を取り戻すと主張している。澤田氏の言葉を借りて言えば、「此の法案は法案ぢやなくて、説法ではないかと私は思ひます、説教ではないかと思ひます」そして、「それは私は日本國民を侮辱した觀念ではないかと、甚だ其の點に付て疑を持つのであります」。