BSディベート「どうすれば 教師の質を高められるか」

http://www.nhk.or.jp/bsdebate/index.html

 11月26日(日)放送のBSディベートの出演者が決まったようだ。戸田忠雄氏、安念潤司氏、佐藤 学氏、藤田英典氏の4人が討論を行う。
 ホームページで各氏の主張が読めるのだけど、そのなかで戸田氏と安念氏の主張で気になった部分があったので引用しておきたい。
 以下、戸田氏の主張からの引用。

 セクハラと同じように考えれば、いじめをなくすことは難しくない。
 加害者にはセクハラの意識がなく、悪気ではなく仲間内の親愛の情の証として性的な揶揄や冗談を言う。しかし、被害者にとっては耐え難い。
 「セクハラはやめましょう」というキャンペーンや精神論では解決しなかったが、違法行為として立法化されたらおさまった。

 ムラ社会の特徴は、ムラ長に異議をとなえないこと
 (和をもって尊しとなすべし!・・癒着馴れ合い体質と甘えの構造)、内部の恥を外部にさらさないこと(犯罪通報は密告『チクリ』・・閉鎖的な体質)、法体系と矛盾する内部規範があること(校則)などである。
 学校ムラでは先生は絶対であるべきで、子どもや親も無条件で尊敬し服従しないと教育はできない
(入学のとき保護者に「先生の悪口は言わないでください」という校長がいる!)。
 先生は子どもたちを善導するためには体罰も辞さない覚悟が必要であるし、そういう「厳しい先生」がよい教師である。
 こうした教師の論理が、学校ムラの「常識」となっている。だから完全な違法行為である体罰も、いじめと同じくなくならない。

 戸田氏は、「セクハラは違法行為として立法化されたらおさまった。」と言いながら、「完全な違法行為である体罰も、いじめと同じくなくならない。」と主張する。これは、セクハラが収まったなどという事実誤認も甚だしい主張であるだけでなく、両方の主張は矛盾している。だから、戸田氏の主張するようなことでいじめなどの問題が無くなるとは思えない。

 以下は、安念氏の主張より引用。

 低品質のサービスを一律平等にユーザーに押し売りする――こうした毛沢東主義が、日本の学校教育全体を染め抜いている。
 しかし、ほとんどの商品・サービスと同じく、教育サービスも競争によってしかその品質を向上させることはできない。
 それが、一世紀にわたる共産主義の悲惨な実験が人類に与えた教訓であった。ひょっとすると、教師の質の絶対値は、一世代前よりも向上しているのかもしれないが、市場で供給される財の質は、この間劇的に向上したために、教師の質の低下が指摘されるのである。

 公教育システムは、競争がなかったために、ダメ企業に典型的な症状を呈している。
 まず、教育サービスという「単品」しか供給していないのに、文科省、県教委、市町村教委という何段階もの膨大な管理部門が現場の邪魔をしている。
 しかも、これら管理部門は、いじめ問題によく表れているように、現場に介入はするが責任は取らない。
 旧日本軍では、「現場には責任だけあって権限なし」といわれたそうだが、負ける組織には負けるだけの理由があるのである。

 安念氏の主張は、単なる妄想でしかなく、こういう主張に反論する気がしない。安念氏には、大学ではなく小・中・高のいずれかに数ヶ月教員としてお入りになって、主張される教育をぜひ展開していただきたい。その上でもう一度同じことを主張されるならこの主張に私は賛同します。

追記
 番組を見ながら少し感想を。こういう討論は、テレビよりも冷静に主張ができる論文などの形でやる方がいいなと改めて思う。