この暴挙を忘れることはない

教育基本法改正案、衆院特別委で可決

 与党は、これまでの審議で本当に将来に責任を持てるのか。問題点は一つも明らかにされず、ただ時間だけを消費し、十分な審議を尽くしたと嘯いて採決を行った。暴挙であり、将来への責任を放棄するものだ。
 また、民主党など野党も批判されるべきだ。きちんとした議論に持ち込まないまま、このような結果を招いたからだ。

ISBN:4006000065:detail
「核時代の市民的不服従‐国家の正当性を問う‐」より以下引用。

 多数決原理は時間的制約下において相互了解のプロセスを理性的に操作可能なものとするが、その際に本来前提されているもろもろの条件に較べて、実際の政治的決定過程がいかにずれているかは、多数決の社会学が冷ややかに明らかにしてくれているとおりである。それにもかかわらずわれわれは、多数の決定には少数派も尊重してしたがうべきであるという原理を、デモクラシーの王道として守っている。今日においてこの考えを本気でひっくり返そうとする者はいないであろう。だが、多数決原理が正当化の力を保持しうるためには、いくつかの最低限の前提が満たされていなければならない。つまり、生れにもとづく少数グループ、例えば文化的伝統やアイデンティティの分裂などにもとづく少数グループがいない場合にのみ、多数決は可能なのである。また多数派といえども、取消し不可能な決定をしてはならないのである。多数決原理は、ある特定のコンテクストにおいてのみ人々を納得させうるのである。多数決原理の価値は、時間の足りない中で、また限られた情報に基づいてなされる決定が、ディスクルス〔討議〕によって得られる意見の一致や、公平なものと予想される妥協という理想的結果からどの程度離れているかという理念を基準に測りうるものでなければならない。

 今回の与党の暴挙は、ハーバーマスの言う多数決の価値の尺度で考えると、その価値はないと言わなければならない。今回の与党の暴挙は決して忘れない。参議院の審議が残されているとしても、民主党が修正協議で矛を収めるなら、民主党も同じように批判されることになる。