中川昭一氏と松本剛明氏へのインタビュー記事

闘論:安倍政権の教育改革 中川昭一氏/松本剛明

 中川氏は、

 教育基本法の改正は、現行法にない新たな概念を盛り込むものだ。例えば幼児教育や生涯学習、環境教育であり、国際人の育成に欠かせない「我が国と郷土を愛する態度」も時代の要請だ。心の中は強制されないが、自然と態度に出るのは健全なことだ。こうした点を教育の柱として再構築する必要がある。

と述べている。教育基本法がなぜあのように短いものになっているのか。それは、必要なものは別に法律を作っていけばいいと考えられていたからだ。教育基本法に盛り込むことなく、幼児教育や生涯学習、環境教育は十分に実施していける。新しい概念を教育基本法に盛り込まなければいけないという主張は間違いだ。中川氏は、「国際人の育成に欠かせない「我が国と郷土を愛する態度」も時代の要請だ。」と述べているが、時代がそれを養成しているのではなく、中川氏など政治家がそれを要請しているだけではないか。

 例えば、教員免許の更新制度が検討されている。日本教職員組合の一部活動家は、自分が納得できないことは何をしてもいい、断固拒否する、では教師の資格はない。集会の自由は憲法上の権利だが、デモで騒音をまき散らす教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格はない。免許はく奪だろう。

と中川氏は述べている。デモをする教員の免許を本当に剥奪すべきと考えているなら、実際にやってみるといい。こういうところに問題を矮小化し、教育改革を主張するのは大きな間違いだ。

 首相が言うように、政治家が過去の歴史認識を左右してはならない。私が教科書問題で訴えたのは、専門家の意見も二分している(従軍慰安婦などの)問題を、一方的に教科書に載せるのは不適当ということだ。ただ、教科書検定制度を見直す考えはない。

 中川氏の主張通りなら、現在、歴史教科書に載せてあることの多くは載せられなくなる。新たな発見や研究の進展で、これまで教科書に書いてあったことが大きく変化する可能性がある。だからといってそれを教科書に載せないということはできない。一部の問題だけを例外扱いするのではなく、専門家の意見が二分しているなら、それを子どもに伝えることが重要であり、教科書に載せないというのは間違っている。

 民主党は首長に教育の権限を持たせるというが、教育は政治的に中立でなければならない。現場に任せ、昔の教職員組合のように学校運営に校長も関与できないゆがんだ形を目指しているなら問題だ。今でもPTAがあり、保護者が健全に学校運営に参加している。文部科学省も見直すべきは見直し、正しい行政を推進すればいい。

 中川氏は、自分のやっていることをきちんと見るべき。教育の政治的中立を侵しているのは一体誰か。

 いじめによる児童・生徒の自殺は悲惨だ。まさに心の問題で、いじめの結末として何が起こるか、それがいじめた側にどう跳ね返るかも教えなければいけない。

 いじめの問題を「心の問題」としながら、その後で述べていることは「心の問題」とは関係ないものだ。

 松本剛明氏は、

 安倍首相の教育論は、教員免許の更新制度など文部科学省がすでに組み立てた政策の延長線上のものが多い。民主党の改正案は、中央集権的な文科省の教育行政を変革するもので、与党との修正協議には応じられない。教育論議が深まらないのは、来年の参院選をにらみ、安倍政権の教育改革に非協力的な「組合=民主党」との構図を作ろうとする自民党に責任がある。

と述べている。教育論議が深まらないのは、自民党側の責任だけでなく、自民党との違いを鮮明にできない民主党にも大きな責任がある。それを忘れてはいけない。

 教育現場では、公立学校の運営に保護者や地域住民が参加する学校運営協議会の制度が04年に始まり、全国で53校が導入した(5月現在)。保護者の協力で授業の質が高まり、児童・生徒の学力が飛躍的に向上した例が多い。
 民主党改正案は、学校運営協議会を「学校理事会」に強化し、地域の創意工夫に基づく学校作りを進める教育システムの改革案だ。政府の教育再生会議の委員にも学校運営協議会にかかわった人が多く、現場の声を真剣に聞けば民主党と同じ結論になるはずだ。

 民主党が、現場の声を真剣に聞いているとは思えないのだが。

 首相の教育改革のもう一つの特徴は、「愛国心規範意識で問題は解決する」かのごとき古い精神論だ。自民党文教族でさえ「文科省は国旗・国歌などイデオロギー部分を政治に委ね、教育行政本体の官僚主導を温存してきた」と見抜いている。理念先行の首相の教育論は、まさに文科省の術中にはまった。これでは改革できない。

 「まさに文科省の術中にはまった。」などという主張は間違いだ。松本氏は、文部科学省スケープゴートにしているにすぎない。

具体的な制度論にも問題が多い。教員免許更新制は認めるが、国が一律に評価するのは非現実的だ。学校理事会に評価を委ね、学校ごとに教員がやる気を出す方策を考えればいい。外部による学校評価も、企業の会計監査と同じ膨大な資料作成が必要。そんなコストと労力をかける効果が本当にあるのか。文科省の長年の行政指導の結果として現状がある。保護者など当事者で作る学校理事会が評価する方が現実的だ。

 松本氏など民主党は、「学校理事会」を過大評価している。学校理事会が本当に機能するためには、最低でもアメリカ並の分権が必要になる。そのためには、いっそうの改革が必要になる。民主党はその改革の姿をきちんと描ききっているとは思えない。

 いじめ事件への対応を見ると、住民と直接触れ合っている首長の方が、教育長や教育委員よりきちんと説明している。教員の将来が教育委員会という閉じた世界で決まることが、教育界を内向きにしてきたと考える。教委を廃止し、首長が地方教育行政の責任者となり、オンブズマンが首長の判断が適正かどうか日常的に監査する仕組みが有効だ。

 松本氏の言う「教委を廃止し、首長が地方教育行政の責任者となり、オンブズマンが首長の判断が適正かどうか日常的に監査する仕組みが有効だ。」というのはあまり現実的なものではない。オンブズマンが監査をすると言っても、オンブズマンの役割などが法律などで明確にされなければ機能しないからだ。