校長・教頭は単なる中間管理職

「校長・教頭に向いてません」と「希望降任」5年で3倍

 文部科学省によると、全国の公立小中高校などで2005年度に自ら降格を申し出た管理職は71人。01年度の26人から3倍近くに増加した。このうち、教員にとって「初めての管理職」である教頭の降任が62人を占め、最も多い。自治体別では東京都(18人)、北九州市(7人)、神奈川県、大阪府広島県(各4人)などが多かった。

 なぜこれほど降格を申し出る管理職が多くなっているのか。それは、校長や教頭は単なる中間管理職でしかないこと。負うべき責任はますます大きくなり、仕事の内容も増加している。さらに、彼らを支援するような仕組みがないといからだ。
 例えば、東京都教委は、「学校経営の適正化」ということで、校長の責任と権限を拡大してきた。しかし、その一方で教育委員会は、その校長を支援するようなことをほとんどしてこなかった。そのために、校長や教頭は自分だけで問題を抱え込んでしまっている。きちんと相談し、支援する仕組みがあればそういうことは起きない。
 現在、校長や教頭は学校の経営者として必要な権限などを持っているわけではない。教委に手足を縛られてその中でもがいているにすぎない。
 また、今進められているのは、学校組織の官僚化であり、それは管理職と教員とのパートナーシップを破壊している。こう書くと、管理職と教員とが癒着しても良いのかという批判が出る。しかし、ここで言うパートナーシップはそういうものではない。
 大瀬敏昭校長は、『ISBN:409837336X:title』の中で次のように述べている。

 本来権限とは、責任ある決断を伴うものであり、すべてを校長に集中してしまうと、何よりも新しい情報や高度な知識を必要とするいわゆる「ベンチャーへの対応」が遅れてしまう。

 そして、次のようにも述べている。

 当事者意識を持った教師集団をつくるためには、校長のリーダーシップも必要であるが、それだけでは組織は動かない。校長が不得手とすることを他者に委ねることも必要である。もちろん、それにはお互いの信頼関係と尊敬が必要なことは言うまでもないが、校長の不得手とすることを他者に委ね、それらのネットワークで学校を運営することも大事だと思う。

 ここでいうパートナーシップは、互いの信頼関係と尊敬によって成り立つものだ。ジェフリー・ウィッティは「市場化・国家・教職の再編」『ISBN:4873788528:title』の中で次のように述べている。

 校長自身が、ローカル・マネジメントにより教員の意志決定への参加は増えてきているとしばしば主張している一方、自律性のある経営が学校内での労使関係に及ぼす影響にかんするシンクレアらの研究では、まさに改革のロジックが示されている。すなわち、「校長は生徒を教育する過程でもはやパートナーではない。彼らは学校内の資源の配分者に対して、被雇用者の活動が事業のニーズに適切であるかを確認せざるをえない管理者に、そして仕事への貢献度が最も高く評価される者に対する報酬の授与者になってしまう」というものである。

 「校長は生徒を教育する過程でもはやパートナーではない。」管理職はそういう状況に置かれている。そういう状況を打開するために、管理職が本当に力を発揮できる環境を作っていくことが重要だ。