こんなことよく言えるものだ

<国旗国歌>小泉首相違憲判決に疑問

小泉首相は21日、入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制したことを違憲とした判決について「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは」と述べ、疑問を投げかけた。思想・良心の自由については「裁判でよく判断していただきたい」と述べるにとどめた。

 あの、法学者の皆さん。この首相の発言をそのまま放置されますか?左翼を批判するためにも放置されますか。この発言は、法律などどうでも良いと言っているのと等しいものだと思うのですが。
 国旗国歌の問題は、もう既に教員を統制する「手段」として用いられているのであり、教育委員会が、教員に対して人間として、国旗国歌は・・・なんて言っているのとは違う。統制する手段として使われているものだから、裁判で判断をしてもらうという手段をとっている。人間性云々という問題でこれが止まっているなら裁判で判断できないから提訴しても裁判にならない。人間性の問題を裁判で裁くことなどできないのだから。
 http://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index.html小林節氏は、

編集部 以前お書きになっているコラムに、「護憲派の市民たちは、集会で、『憲法を護(守)ろう!』と叫んでいるが、私はむしろ、『憲法を権力者に守らせよう!』と叫ぶべきではないかと思う」とあったのが、印象に残っています。その発言の根本にあるのが立憲主義ですよね。しかし、いま自民党中心の改憲論議のなかでは、憲法は国民が国家の権力を縛るものだという立憲主義という前提自体が、自明なものではないかのごとく扱われています。

小林 私は最初、これは悪意かな? と思ったんですね。知っていてわざと嘘をついているのかな? と。しかし彼らは基本的に無知なんです。
 民法は、私人間の取引の法、商法は、その中の商売人の取引の法、刑法は犯罪の法、訴訟法(民・刑)は裁判の法、そして最上位法である憲法は、国民が政治権力を管理する法だという、法の基本的な役割分担を国会議員が知らない。
 だから、愛国心とか教育とか倫理・道徳の問題に、憲法を直に持ち込もうとするようなことが起こるのだけれども、それは、はっきり言って無知・無教養だからなんだと気がつきました。
 そして一部法制局の役人とか、改憲派としては有名だけども憲法学者としては無名な何人かの御用学者が、愛国心憲法に持ち込むような、彼らのやり方に根拠を与えようとしているだけなんですよ。


と述べている。小泉首相の発言はまさに「基本的に無知」なのだということをさらけ出しているのだと思う。よくこういうことを一国の総理が言えるなと思う。