言いたかったことは

 まず、何もかも常識、当たり前で覆い尽くしてしまう危険というエントリーに対して、直接またははてブの方に多くの方からコメントをいただき、とても感激しています。みなさん、ありがとうございます。いただいたコメントにきちんと個別にレスをすべきだと思うのですが、昨日のエントリーでは書ききれなかったものがあるのでそれも含めて改めて新しいエントリーを書くことにしました。

 昨日のエントリーは、外部の人が内部のことについて批判したり、口を出すべきではないという主張をするために書いたのではありません。教員でなくとも教員に対して批判などを行うのは当然のことであり、それを否定するべきではないと考えています。では、なぜあのようなことを書いたのか。その理由を書いておこうと思います。
 今、進められている教育改革、特に教員に関する改革は、教員の実情についてきちんと調査し、そこから問題を明らかにし、その問題を解決するための改革案を提示するようなものではありません。今行われている改革は、極端に言えば、突然やってきて、今までやってきたことはダメだと否定し、今からはこれとあれをやりなさいと一方的に通達し、それに対して教員が考えを述べる機会さえ与えず、ひどい場合には、有無を言わせないというような姿勢で改革を迫る。そういうものです。
 今、教員に対しては外からの働きかけが強まっています。それは内部からの改革が期待できないという不信感が強いからです。しかし、これまで教員に対して、文科省教育委員会はこれまでどれくらい支援をしてきたでしょうか。総合的な学習など新しいものを導入する際に、文科省や教委はどのような支援策を講じたでしょうか。また、教員の資質を向上させるための仕組みをきちんと構築してきたでしょうか。ほとんど支援策を講じていないし、仕組みを構築してこなかったのではないでしょうか。
 そういう状況の中で、教員の質というようなところに多くの人たちの関心が向くようになりました。そこで出てきたのが教員免許の更新制や不適格教員の認定制度などです。しかし、そのどれもが現場にいる教員の資質を向上させるような仕組みにはなっていない。単にダメだとされる教員を排除するだけの仕組みになっている。教員を育てていくという視点はほとんどない。
 これまで文科省も教委もやれるだけのことをやってきたわけではありません。その大きな要因は、文科省も教委も現場の状況をきちんと把握していなかったことです。文科省も教委も教員についてほとんど知らない状況で様々な改革を下に降ろしてくる。だから、実体との乖離があって効果も上がらないし、矛盾ばかりが生まれてくる。その失敗の責任は多くの場合、教員が負うことになります。不適格、指導力不足教員だとして。
 私は、そういう改革を、学校外部の「常識」や「論理」だけで行われてしまうことにいらだちを感じています。そして、そういう改革に対して、どれだけ教員のことを理解してやっているのかという思いを持っています。なので、昨日のようなことを書きました。
 また、そういう改革に対するいらだちと同様に、教員に対してもいらだちを感じています。これから書くことは、教員の方々に対して失礼なことだと思います。ですから批判されるだろうと思います。それでも書くべきだと思うので書きます。いらだっている原因は、教員が自分たちから変えていくというのをきちんとやっていないと思うからです。ただ、改革に流されているだけの教員がいると感じているからです。
 例えば、外から提示されてきた教員に関する改革案に対して、教員側から、こうしたらどうかとかというようなことが提起されてきたでしょうか。そのような取り組みは大きな声となっていません。むしろ聞こえるのは、それには反対だというような否定する声ばかりです。議論をしていくというような建設的な姿勢が見えない。そういう受動的な姿勢を外部から見れば、内部から変えることはできないと思われても仕方がないと思います。
 でも、教員はそういうものではないと思います。教員はマニュアル通りに子どもを教育し、上司に従順であればいい。決してそういうものではないと思います。何のために専門的な教育を受け、教員免許が与えられるのでしょうか。自ら判断し、行動することが求められるからではないでしょうか。教員は外から言われなければ変わらないのではなく、自分で変わることは可能だと思います。そのための教育を受けてきているはずです。
 自分で変えるためには外に開くということが必要だと思います。教員は、外の社会と積極的に関わることだと思います。そうすることで、様々な視点で自分を見直し、教育を見つめることができると思います。それを誰かに言われるのではなく、自分からやることが必要だと思います。
 教員は自分たちで改革を主導していくべきだと考えています。教員組合などはそういうものを支援していくものへと変えていくできだと思います。そして、内部から具体的な改革案を提示し、教員のことを考えない外からの改革の対案として示していくべきだと思います。

 長いこと色々と書いてきたのですが、昨日のエントリーで書いたものとは主張が一貫していないと思います。また、頂いたコメントにも応えきれていないと思います。私の昨日のエントリーは、外に対してだけではなく、教員に対しても「今のままで本当に良いのですか」と問いかけようと思って書いたものです。また、コメントなどいただけたらと思います。