我妻榮氏の言葉 教育と家族

 昭和22年03月29日の貴族院本会議で「日本國憲法の施行に伴う民法の應急的措置に関する法律案」が議論された。その時の我妻榮氏の討論から引用。以下、議事録からの一部引用。

○我妻榮君 只今上程されました三つの應急的措置に關する法律案の中で、民法の應急的措置に関する法律案に付て質問致したいと思ひます、
(中略)
人々は往々此の度の民法の改正を目して、戰爭に敗れた爲に、心ならずもしなければならない仕事だとするやうであります、併しそれは明治維新後八十年、殊に民法制定後五十年の歴史を知らない者であります、明治維新後の三十年間に女子の身分上の自由が如何に擴張され、又家族員の地位が如何に向上したかを述べることは差控へませう、民法制定後五十年の歴史を顧みただけでも、そこに顯著な變遷が見られるのであります、就中二つの出來事が我々の注意を惹きます、一つは民法制定當時の論爭であり、二つは大正半ばの臨時法制審議會の要綱であります、現行の民法を制定致します際に、政府が一度作つた民法草案が、ヨーロツパの夫婦中心主義を採つて我が國の家族制度を無視するものだと云ふ強硬な反對論に遭遇し、一度挫折するの已むなきに至つたものであることは、皆樣の御承知のことと存じます、其の反對論の急先鋒穗積八束先生の主張された家族制度は、極めて徹底したものであります、即ち家は一箇の法人であつて、財産も榮譽も悉く家に歸屬する、個人の財産は殆ど認める必要はない、又戸主は家の代表者であつて、家族員を統率する唯一の權力者である、親の權利も、夫の權利も、之を認める必要はないと云ふ程のものでありました、八束博士は此の信念の下に、「民法出でて忠孝亡ぶ」と云ふモツトーを掲げて、政府案の排斥に努められたのであります、併し此の主張に對しては固より有力な反對論がありました、其の反對論の陣營に於ける驍將は梅謙次郎先生でありました、梅先生に依りますと、各人の平等を認め、自由を確立しなければ、我が國の經濟的發展も、社會的向上も望むことは出來ない、宜しく戸主權を廢止して親權だけとなし、家督相續を廢止して財産の均分相續を認むべしと云ふのであります、先生は、家族制度は封建の遺風なりと極言して居られるのであります、併し現行民法は結局兩派の主張の妥協に依つて成立致しました、一方では家、戸主權、家督相續等の制度を維持し、他方では親權、夫權を認め、又家族員の特有財産と其の均分的な遺産相續を認めたのであります、斯くの如く家、戸主、家督相續と云ふ一聯の制度は、既に民法制定の際に爭はれ、批判され、相當の調節を受けた所謂宿命的な制度であります、其の後、民法典は一方からは不當に家族制度を輕視すると攻撃され、他方からは舊套な家族制度に膠著すると非難されて參りました、併し民法學者の主流は次第に、現行の戸主を中心とする大家族制度を不可として、夫婦、親子を中心とする小家族制度に移行すべきであると主張するやうになりました、處が、此の民法學者の傾向に對して甚だしい不滿の念を抱く者が現はれました、それは教育者であります、即ち大正六年に内閣に設置された臨時教育會議は、民法を目して、家族制度を輕視するもの、我が國固有の淳風美俗に合はないものとの刻印を捺して、政府に對して其の改正を建議したのであります、政府は之に應へて、大正八年に臨時法制審議會を設置し、「民法の中で我が國固有の淳風美俗に合はない點を檢討して、其の改正の要綱を答へよ」と云ふ諮問を致しました、此の答申は民法親族編及び相續編の改正要綱として、大正の末年から公にされて居ります、此の改正要綱こそ我が國の家族制度の内容を考へる上に於て最も重要なものでなければなりませぬ、何故ならば、我が國朝野の權威を集めた審議會が、民法の規定を我が國固有の淳風美俗たる家族制度に適合させやうと云ふ使命を帶びて作成したものだからであります、然らば此の改正要綱は、民法の中に更に男子の優位を認め、戸主權を一層鞏固にし、家督相續の特異性を更に強化せむとするものでありませうか、否、さうではないのであります、要綱を貫く最も大きな特色は男女の平等への努力であります、即ち妻の能力を擴張し、母の親權を父の親權に近づけ、夫にも或程度の貞操義務を認め、妻の相續權を強化せむとして居ります、第二に、戸主權に向つて重大な調整を加へて居ります、即ち戸主の居所指定權を廢止し、婚姻縁組に對する同意權を調節し、家族員に對して分家の自由を認め、著しい非行ある戸主を廢止する制度をも認めやうとして居るのであります、第三に、家督相續の特異性を制限して居ります、即ち戸主は必ずしも男子たることを必要としないと云ふ思想を一層明かにして、嫡出の女子の家督相續順位を庶男子の上に置いて居ります、又家督相續に於ても、家の財産は、生存配偶者と次男以下の總ての子供に然るベく分配すべきものとして居るのであります、是等の諸點は總て只今上程された此の法案と全く其の方向を一にして居るものであります、斯樣に此の法案が、我が國の家族制度を淳風美俗に適合させやうと云ふ使命を帶びて、臨時法制審議會が作成した民法改正の要綱と、其の方向を一にして居ると云ふ事實こそ、本法案が決して、敗戰の結果、心ならずも爲す、あらぬ方向への改正ではないと云ふことを、最も雄辯に物語つて居るものでなくて何でありませうか、併しながら法律の改正は漸を追うて進むべきものであります、假令理想的方向に向つた改正でも、餘りに急激な改革は、社會の實際生活をして之に順應させることが出來ませぬ、却て社會の混亂を導くものでありますことは、法律學徒として私の固より熟知して居る所であります、又此の法案が憲法第二十四條の趣旨に適合するものであり、明治以來の我が國の法律的な家族制度の變遷の流れに從つたものであり、且又臨時法制審議會の所謂我が國固有の淳風美俗と方向を一にするものであるに致しましても、其の一大躍進であることは何等疑ない所であります、或は聊か急激に過ぎる點さへなきにしもあらずと、私と雖も竊に憂へないではありませぬ、併し新憲法が既に制定され、其の掲げる大理想の實現に向つて我等一同全力を擧げて努力しなければならない今日となつては、多少の急進的改革も之を斷行せむとする覺悟を以て邁進することこそ、正に我等の任務であらうと信ずるのであります、斯樣に國民一同が一大勇猛心を以て當らねばならない民法の改正に際して、其の指導的地位にある政府に若し萬一にも、唯何となく舊來の制度に愛著を感じ、出來るだけ其の改正を少くしたいと云ふやうな氣持があつたり、或は又臨時法制調査會が答申したことだから已むを得ずそれに從ふのだと云ふやうな消極的な態度があつては、此の一大改革は決して其の目的を達することは出來ませぬ、社會生活の混亂を生ずることさへ或は保し難いかも知れませぬ、是れ私が憲法審議の際に於ける吉田、金森、木村三大臣の答辯の一貫しないことに付て、深甚の憂慮を禁じ得ない所以であります、さうして政府は此の法案を新憲法の趣旨、殊に第二十四條との關係を如何に解釋して居られるかと云ふ質問を掲げて、吉田、金森、木村三大臣の率直な御考を伺はむとする所以であります、次に質問の第二に移ります、それは政府は、此の改正と我が國の淳風美俗乃至は家族制度、倫理との關係を如何に考へて居られるかと云ふ、高橋文部大臣に對するものであります、此は先程から家族生活の民主化と云ふことは、兩性の本質的平等と家族各員の尊嚴を確認した上で、御互ひに人格を尊重し合ひ、長幼相敬愛し、同胞相協力することだと申しました、然るに此の法案に依る民法の改正は、兩性の本質的平等と家族員の尊嚴の確認と云ふ、家族生活の民主化の謂はば消極面は徹底的に之を實現して居ります、然るに其の上に於ける相互の尊重、敬愛、協力と云ふ、謂はば其の積極面に付ては、何等の規定を致して居りませぬ、何故でありませうか、それは專ら教育に委ぬべき事柄だからだと存じます、元來法律は權力を取除き、支配、被支配の關係を打破し、各個人を平等の立場に置くだけの力は持つて居ります、併し其の平等な者をして、互ひに敬愛し、互ひに協力させることに付ては、殆ど無力なものであります、此の部分こそ正に教育の擔當すべき獨壇場であります、然らば此の法案は憲法第二十四條の理想の實現と云ふ目的に向つて、單に其の消極面を實現して居るだけであります、其の積極面を擔當する教育の協力を得なければ、斷じて其の目的を達成し得ないものだと言はねばなりませぬ、貴衆兩院の憲法審議の際に於ける家族制度の論議を拜見致しますと、總ての議員と各大臣とを通じて、一つの共通な思想が表明されて居ります、それは、父母に孝、兄弟に友、夫婦相和すと云ふ我が國の家族倫理は、我が國の道徳の基礎として之を維持、昂揚しなければならないと云ふ御考であります、意見の相違を生じましたのは、此の理想の實現の手段として憲法に何等かの規定が必要かどうか、民法の特定の制度が維持されねばならぬかどうかと云ふ點であります、而も其の點の意見の相違にも拘らず、總ての人は、何れにしてもそこに教育の重大な任務の存することに付ては、意見は全く一致して居られたのであります、又當院の憲法審議の最後の階段に於て、牧野委員から「家族生活はこれを尊重する」と云ふ一項を挿入しやうとする提案が爲されて、過半數の贊成者を得たことは御承知の通りであります、私は其の修正案には反對致しました、併しそれは、左樣な條項を憲法に挿入することを必要なしと考へたからであります、決して家族生活は之を尊重すると云ふ理想に反對するからではありませぬ、唯其の理想は教育の力に依つて實現せらるべきものと信じたからであります、私と同樣に修正案に反對された百三十四人の議員諸君も、恐らくは一人殘らずさう御考へになつて居ることと信じます、然らば貴衆兩院を通じて、全議員は、家族倫理の昂揚を希望し、其の爲に教育の極めて必要なものであることを主張し續けて來たと言はねばなりませぬ、文教の責任者たる文部大臣は、先づ此の負荷の大任を十分に意識されなければならないと存じます、從來教育者は、家族倫理を昂揚すると云ふ其の重大な任務の遂行に當つて、兎もすると家、戸主權、家督相續と云ふ特定の制度に拘泥し、是等の法律制度を固持することを以て直ちに家族倫理の發揮なりと爲し、家族道徳の向上なりと考へる嫌ひがありました、先程述べた臨時教育會議の建議にも其の傾向が多分に見えるのであります、先づ其の建議が我が國固有の淳風美俗となす所のものは、極めて倫理的なものであります、建議の一節を御紹介致します、「およそ長上を敬し、禮儀を崇び、上下の秩序を維持し、忠孝節義を重んじ、自ら持するや儉素廉潔にして、專ら質實剛健の風を尚び、貴賤貧富の間、相與みするに情と誼とを以てし、相恕し、相讓り、一國は一家の如く、一國の藹氣大和民族の地盤に漲りしは、是れ古來我國に於ける淳風美俗の状景なり」、是が建議に所謂我が國古來の淳風美俗であります、然るに此の建議は、斯樣な崇高な道徳を發揮する爲には法律上の家族制度を鞏固にしなければならないと簡單に結論しながら、次のやうに述べるのであります、「諸般の法令に於て、我が國の家族制度と相矛盾するの條項著しきものあり、教育に於ては家族制度を尊重し、立法に在りては之を輕視するが如きは、撞著の甚しきものと謂はざるべからず」、さうして民法の改正を迫つて居るのであります、併し倫理的な淳風美俗と法律的な家族制度とが、其の時代に於て果して一致するかどうかは、愼重に吟味すべきことでなければなりませぬ、之を怠つて、特定の法律制度の應援なくしては教育の效果を擧げ得ないとするのは、教育の獨自性の忘却であります、而も此の建議の結果出來上つた臨時法制審議會の民法改正要綱が、決して法律的な家族制度の強化でなかつたことは、前に申述ベた通りであります、教育の大方針を定めるに當つて、特定の法律制度に依存することは、嚴に愼しむべきことであると信じます、殊に現在のやうな大變革期に際會しましては、教育の方針を決定し、道徳の具體的な内容を定めることは、最も愼重でなければなりませぬ、私は先程來父母に孝、兄弟に友、夫婦相和すると云ふことを以て、人倫の大木、道義の基礎と申して參りました、併し此の動かすべからざる眞理の下に於ても、何を以て孝と爲し、何を以て友と爲し、又何を以て和と爲すかと云ふ具體的内容に至つては、時代と共に變らなければならないものと存ずるのであります、先日當院で議決されました教育基本法には、普遍的にして而も個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底すべしと申されて居ります、私は此の「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」と云ふ含蓄ある立言に深甚の敬意を表する者であります、我が國の傳統的な家族協同生活の中に育てられて來た固有の淳風美俗は、正に此の教育基本法に所謂「個性ゆたかな文化」の内容を成すものでなければなりますまい、と同時に此の固有の淳風美俗は、又そこに所謂「普遍的」なものに通ずるやうに、其の具體的内容に於て不斷に醇化されなければならないものと信ずるのであります、斯くして私は此の民法の改正と彼の教育基本法とを、正に一體を成すものとして、文部大臣の一大覺悟を要望して已まない者であります、最後に此の應急措置法の形式に關聯して更に一言申述べたいことがあります、過日民法改正の要綱が發表されました時に、世上に多くの誤解が生じました、要綱は現行法の改むべき點を端的に指摘致しますので、例へば民法上の家を廢止することとか、成年の子の婚姻には親の同意を要せざるものとすることとか、或は又姦通は之を罰せざるものとすることと云ふやうな立言を致します、從つて兎もすると、貞操を守る必要がなくなるのだ、妻を選ぶ場合には親に楯突け、親子共同生活はもう廢めになるのだと言つて居るかのやうな誤解を生じ易いのであります、其のことは本議院に於ても牧野委員から適切に指摘された通りであります、併し私は其の當時考へました、要綱はさう書いても、法律にさう書くのではない、法律では家に關する規定、婚姻には親の同意を要すると云ふ規定、又は姦通を處罰すると云ふ規定などが削除されるだけなのだ、だから法律となつてしまへば、それ程の誤解も生じまいと、處が、此の應急措置法は、戸主、家族其の他家に關する規定は之を適用しない、成年者の婚姻等々に付ては父母の同意を要しないと云ふ表現をして居ります、誤解を生ずる虞あること、正に要綱と同樣であります、應急措置法としては是も誠に已むを得ない所であらうと察します、併し因つて生ずる誤解は、已むを得ないでは濟ますことは出來ませぬ、當局は全力を擧げて、此の法律の正しき趣旨の徹底に、萬全の處置を講ぜられむことを希望するのでありますが、取分け文部當局が、特に其の點に留意して最善の努力を傾けられむことを願つて已まないのであります、要するに此の民法應急措置法案は、文教の責任者たる文部大臣に於て、斯かる法律制度を前提として、普遍的にして而も個性豐かな我が國の家族倫理の昂揚を十分にやつて行けると云ふ信念を御持ち下さると同時に、之に向つて不斷の努力を重ねやうとする決意を御持ち下さらない以上、其の豫定する積極的な半面を缺くものであります、啻に立法の目的を達し得ないだけでなく、却て誤解に基く家族協同生活の紊亂頽廢さへも生じ兼ねないものであります
(後略)

それに対する高橋誠一郎文部大臣の答弁

○國務大臣(高橋誠一郎君) 新憲法の實施に伴ひまして、民法の改正が行はれ、從來の家の制度が廢止せられやうとして居りまするが、法制上の家族制度が如何に相成りましても、新時代に即しました所の家族制度は飽く迄も之を維持昂揚しなければならぬと考へて居ります、教育家の中には先程御話のございましたやうに、往々法制的な家族制度を維持しなければ國民道徳を向上させ得ないと考へる者があると云ふことでありまするが、若し果して斯くの如き者があると致しまするならば、是は大なる誤りであると申さなければならぬと考へるのであります、元來我が國の麗はしい家族制度は法律の制定、改廢に依りまして、何等變ることなく、今日も我が國の生活の基盤を成して居るのであります、寧ろ民法上の家の規定は現實の生活に甚だそぐはないものであつたとも言ふことが出來ると考へられるのであります、今日民法が改正されむとするに當りまして、文部省と致しましては、教育上此の點に特に留意致しまして、我が國の固有の淳風美俗は益益向上維持を圖りたいと存じて居るのでございます、曩に御協贊を得ました教育基本法に明示せられましたやうに、今後の新しい教育は個人の尊嚴を重んじ、人格の完成を目指し、以て民主的平和的な國家を建設せむとするものでありまして、今日の民法の改正と基調を同じうして居るものであると考へます、從つて家族倫理の昂揚も右の線に沿ひまして、我が國の社會一般に殘存する封建的因襲を矯め、家の倫理に付きましても單に淳風美俗を無批判的に維持して行くのではなく、新しい夫婦、親子の倫理に基く國民道徳の昂揚を、國民生活の現實に即して行はうとするものでなければならないと考へるのであります、此の爲教育の負ふべき任務は實に重大でありまして、文部省に於きましては學校教育、社會教育を通じて大いに努力したいと考へて居るのであります、願はくば先程御話のありました所の、賢明なる育ての親たる任務を果したいと念願して居るのであります、殊に徳教は耳より入らずして目より入ると稱せられて居るのでありますが、家庭教育の振興を圖りまするが爲に、兩親學級の奬勵を致しまして、又學校教育に於きましては新たに設けられまする所の社會科、及び家庭科に於きまして、此の問題を取扱ひ、從來よりも一層廣い立場から家庭及び社會生活の進展に力を致す所の態度と能力とを養成しやうとして居るのであります、尚本改正案は臨時措置の性質上誤解を招く點もあると見られまするので、教育上に當りましては此の點十分に留意致しまして、家庭生活に新しい生命を吹込み、今後の我が國社會生活の正しい發展に資したいと考へて居るのであります

 長い引用になってしまったので、もう少し切りつめて私が注目した部分だけを引用すると、我妻氏は、

先日當院で議決されました教育基本法には、普遍的にして而も個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底すべしと申されて居ります、私は此の「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化」と云ふ含蓄ある立言に深甚の敬意を表する者であります、我が國の傳統的な家族協同生活の中に育てられて來た固有の淳風美俗は、正に此の教育基本法に所謂「個性ゆたかな文化」の内容を成すものでなければなりますまい、と同時に此の固有の淳風美俗は、又そこに所謂「普遍的」なものに通ずるやうに、其の具體的内容に於て不斷に醇化されなければならないものと信ずるのであります、斯くして私は此の民法の改正と彼の教育基本法とを、正に一體を成すものとして、文部大臣の一大覺悟を要望して已まない者であります

というように述べている。我妻氏は、教育基本法の掲げるものと「我が國の傳統的な家族協同生活の中に育てられて來た固有の淳風美俗」は相反するものではないと述べている。この指摘は重要だと思う。
 また、我妻氏は

從來教育者は、家族倫理を昂揚すると云ふ其の重大な任務の遂行に當つて、兎もすると家、戸主權、家督相續と云ふ特定の制度に拘泥し、是等の法律制度を固持することを以て直ちに家族倫理の發揮なりと爲し、家族道徳の向上なりと考へる嫌ひがありました、先程述べた臨時教育會議の建議にも其の傾向が多分に見えるのであります、先づ其の建議が我が國固有の淳風美俗となす所のものは、極めて倫理的なものであります、建議の一節を御紹介致します、「およそ長上を敬し、禮儀を崇び、上下の秩序を維持し、忠孝節義を重んじ、自ら持するや儉素廉潔にして、專ら質實剛健の風を尚び、貴賤貧富の間、相與みするに情と誼とを以てし、相恕し、相讓り、一國は一家の如く、一國の藹氣大和民族の地盤に漲りしは、是れ古來我國に於ける淳風美俗の状景なり」、是が建議に所謂我が國古來の淳風美俗であります、然るに此の建議は、斯樣な崇高な道徳を發揮する爲には法律上の家族制度を鞏固にしなければならないと簡單に結論しながら、次のやうに述べるのであります、「諸般の法令に於て、我が國の家族制度と相矛盾するの條項著しきものあり、教育に於ては家族制度を尊重し、立法に在りては之を輕視するが如きは、撞著の甚しきものと謂はざるべからず」、さうして民法の改正を迫つて居るのであります、併し倫理的な淳風美俗と法律的な家族制度とが、其の時代に於て果して一致するかどうかは、愼重に吟味すべきことでなければなりませぬ、之を怠つて、特定の法律制度の應援なくしては教育の效果を擧げ得ないとするのは、教育の獨自性の忘却であります、而も此の建議の結果出來上つた臨時法制審議會の民法改正要綱が、決して法律的な家族制度の強化でなかつたことは、前に申述ベた通りであります、教育の大方針を定めるに當つて、特定の法律制度に依存することは、嚴に愼しむべきことであると信じます、殊に現在のやうな大變革期に際會しましては、教育の方針を決定し、道徳の具體的な内容を定めることは、最も愼重でなければなりませぬ

とも述べている。
 政府与党案にしても民主党案にしても、我妻氏が言う「教育の獨自性」を「忘却」している。「特定の法律制度の應援なくしては教育の效果を擧げ得ない」などという不見識な主張が教育基本法を改正しようとする人たちの口から出てくる。しかも、自分たちが言っていることは間違っていないと自信たっぷりに。もし、そういう人たちが教育基本法が制定された当時の議論をきちんと知っているならそういう主張が間違いであることに気がつくはずだ。