教育改革推進会議の設置に反対する

 安倍氏が首相に就任したら首相直属の「教育改革推進会議」を設置するのだという。そこでは、次のようなことを行うのだという。以下、http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.htmlより引用。

安倍さんの教育改革は官邸機能を強化して行われる。文部科学省に任せていてはピントがずれているし、時代の流れに合っていない。内閣ができたらすぐに首相主導の「教育改革推進会議」を設置して、来年の3月くらいまでに結論を出す。後は文科省に投げて中教審で議論してもらうにしても、根本的なものは作っていくということを考えている。

文科省にも共産党支持とみられる役人がいる。官邸機能の強化には、省庁の局長以上の人事については官僚ではなく政治が任用することが必要だ。

下村さんが文科政務官だったときに、文科省は過激な性教育や韓国からの教科書採択妨害文書について全国の実態調査をした。どこに問題があるか分かった。しかし文科省に任せたのでは、また緩んでくる。だから官邸に推進会議を作らなければならない。

教員免許更新制もグラグラしている。講習さえ受ければ更新するという方向に行っているが、官邸は、駄目な先生は駄目としなければならない。

カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する。

 以上のようなことを行う「教育改革推進会議」なるものの設置には反対だ。反対意見として、先日紹介した矢内原氏の言葉の一部を引用しておきたい。

 戦争前においては、日本においては国家と教育があまりにも緊密に結びつき過ぎておりました。それで教育に対する国家の監督、指導というのが非常に力強く行われておりました。そのために、事のないときは大へん教育の能率が上ったように見えましたけれども、一たび事が起ってきますと、たとえば戦争前の状況とか、戦争中の状況とか、戦後の混乱とか、そういうことを考えると、政府が指導し、監督するその教育というものが、人間を作るのにはなはだ不十分である。従って、国としても基盤の脆弱な、いわゆる道徳的のバック・ボーンとも申されるものが十分具備されておらない、国の言うことなら何でも聞く、そういうふうな人間だけを作ることになるだろう、そういう反省からいたしまして、国家と教育を、強くいいますと分離したわけであります。これはなかなか大きな問題でありますが、三権分立の思想からいいますと、立法、行政、司法が分離されております。国会も政府も司法権に対し干渉しない、それでも国はちゃんと立っていくし、それでなければ、国は正しく治まっていかない。教育の問題は、一般行政の事務の中で非常に特別な位置を持っておる。というのは、政治の都合で朝令暮改、たびたび改めるべき事柄ではなくて、教育には先ほど申しましたように中立性と持続性という、長い目で見て育てていかなければならない特別の任務があります。そこで政府の干渉、監督、指導から離れたところに、国民自身が教育について責任を持ち、関心を持っていくというそういう制度ができるわけであります。