矢内原忠雄東大総長の言葉

 1956年4月4日、参議院の内閣・文教委員会連合審査会において、矢内原忠雄東大総長は、臨時教育制度調査会の設置に反対の意見を述べた。その中で次のようなことを述べている。

 教育基本法は御承知のように戦後における日本の教育憲法とも称すべきものであって、民主主義教育の根本を掲げておるものであります。たとえば親に孝行するとか、隣人に対して親切をするとか、国家に対して忠誠を尽すとかいうことは、民主主義であればできないかというと、決してそうでなくて、民主主義に基いた隣人に対する道徳、国家に対する道徳なるものができてくる。戦争前においてはこのような道徳を民主主義に基かずして教えた、あるいは教えようとしたところにたくさんの無理なこと、あるいは形式的な上っつらだけのことなどがありまして、それでほんとうに身についた隣人愛あるいは国に対する忠誠ということができなかった。ただ押しつけられた形の上での道徳はありましても、実行が伴わなかった。それではいけない。やはり人間というものを理解し、人間を尊重するということが民主主義の根本であります。それから出た社会道徳あるいは家庭道徳、あるいは国家道徳というものがなくてはならないということが、戦後における教育の大方針でありまして、それに基いて教育基本法というものができました。かつて天野文部大臣のころに、国民道徳の基本を示すことが必要だというふうなお考えがありまして、いろいろ世間でも問題になりましたが、またその前には、終戦直後、明治天皇のお出しになった教育勅語、もしくはそれにかわるものを出したらどうかという話もありましたが、すべてこれらの考えが成熟しませんで、それで今の教育基本法ができまして、教育基本法によって民主主義的な人間の人格、観念を養成するということが最も急務であり、それに基いて、あとは特に言わなくても、親に孝行、国に忠誠ということが自然にできてくることである。そういうことで教育基本法は維持されて参りました。それがにわかに改正される。日本が自主独立の建前からいろいろ法制を再検討するという名のもとに教育基本法をも修正し、これにただいま申したような民主主義でないといわれる何かをつけ加えるということは、教育の基本をくずすものである。清瀬文部大臣が言われたことの中に、民主主義だけではいかんと、民主主義プラス何かが必要だというふうに言われております。そのプラス何かということが、私どもにとっては非常に危険に感ずる。そこにこの戦争前の国家主義というふうなものが顔を出してきますと、せっかく戦後始まりました民主主義の教育理念、教育基本というものがゆがめられ、水増しされ、あるいは力を失ってくる危険がある。それで、これは大臣の御答弁の中から二、三のことを拾って申したのでありますが、教育基本法の改正は、やり方によっては、つまり臨時教育制度審議会のやり方によっては、非常に教育上危険なことになるだろう、おそれがあるということであります。
 第二の、教育に対する国家責任を明確にする。で、これは簡単に申しますと、戦争前においては、日本においては国家と教育があまりにも緊密に結びつき過ぎておりました。それで教育に対する国家の監督、指導というのが非常に力強く行われておりました。そのために、事のないときは大へん教育の能率が上ったように見えましたけれども、一たび事が起ってきますと、たとえば戦争前の状況とか、戦争中の状況とか、戦後の混乱とか、そういうことを考えると、政府が指導し、監督するその教育というものが、人間を作るのにはなはだ不十分である。従って、国としても基盤の脆弱な、いわゆる道徳的のバック・ボーンとも申されるものが十分具備されておらない、国の言うことなら何でも聞く、そういうふうな人間だけを作ることになるだろう、そういう反省からいたしまして、国家と教育を、強くいいますと分離したわけであります。これはなかなか大きな問題でありますが、三権分立の思想からいいますと、立法、行政、司法が分離されております。国会も政府も司法権に対し干渉しない、それでも国はちゃんと立っていくし、それでなければ、国は正しく治まっていかない。教育の問題は、一般行政の事務の中で非常に特別な位置を持っておる。というのは、政治の都合で朝令暮改、たびたび改めるべき事柄ではなくて、教育には先ほど申しましたように中立性と持続性という、長い目で見て育てていかなければならない特別の任務があります。そこで政府の干渉、監督、指導から離れたところに、国民自身が教育について責任を持ち、関心を持っていくというそういう制度ができるわけであります。これが民主主義における教育の位置だと思うのでありますが、日本では戦後の改革で、文部省はサービス機関となりまして、指導、監督の権限が大へん少くなりました。義務教育は、地方は地方の教育委員会がいたしますし、大学は大学の自主的な行政管理ということを主張いたしまして、文部省はサービス機関になった。これは戦前の官僚行政、官僚統治から見ると非常な変革でございました。戦後はどうかと申しますと、今日までのところ、文部省は良識を持ちまして、あまり差し出たことはしないし、できるだけの努力をして、日本の教育をもり立てるようにやってきたように思われます。しかるに今、それが一歩を進めまして、文部大臣が教育を監督するような態勢を作り上げるといえば、教育の事業の一つには中央集権化、一つには官僚的な統制という傾向が見えてきまして、そして教育という仕事に対して不適当な態勢ができるおそれはないか。これも臨時教育制度審議会がどのような答申をするかということにかかっておるのでありますけれども、先ほど申しましたように、中教審を差しおいて今度の審議会を作るようになる特別の目的はそこにあるということを掲げておりますので、これは具体的にあるいは内容的にどうなるか、私どもといたしましては大へん懸念をいたしておる点であります。