子どもの暴力は表象にすぎない

 2006年09月15日(金曜日)付 朝日新聞社説 子どもの暴力 学校だけの問題ではない

 まず、この社説の最後の部分を引用したい。

小学生の暴力を学校だけの問題に終わらせず、社会を見つめ直すきっかけにしたい。

 こう主張しているにも関わらず、この社説では子どもの暴力の問題を2点に集約している。1点目は、家庭の問題。2点目は、社会の変化だ。

 暴力に走りがちな子どもについて、二つの共通点が指摘されてきた。一つはストレスや不満をため込んでいることだ。もう一つはストレスの暴発を自制する力が弱いことだ。
 どんな不満があるのか。なぜ自制する力が弱いのか。子どもの内面や生活習慣にまで踏み込まなければ、原因を探ることはできない。それには、学校だけでなく、家庭との連携が欠かせない。
 親の責任は重い。子どもが不満をため込み、それを抑えきれないというのは、その家庭に問題があると考えざるをえない。親が自分の気持ちをきちんとコントロールできないから、子どもが暴発してしまうのではないか。
 最近は朝食をとらせないまま、子どもを学校へ送り出す家庭も少なくない。こんなことでは、学校へ行っても子どもの気持ちが落ち着くはずがない。
 学校と家庭が手を携えて、それぞれの場で改善すべき点を改善していく。そうした努力を積み重ねるしかない。

 この社説では、「子どもが不満をため込み、それを抑えきれないというのは、その家庭に問題があると考えざるをえない。親が自分の気持ちをきちんとコントロールできないから、子どもが暴発してしまうのではないか。」と述べている。こう述べながら、親がなぜ自分の気持ちをコントロールできないのかという問題については全く触れない。また、同様に「最近は朝食をとらせないまま、子どもを学校へ送り出す家庭も少なくない。」と述べておいて、そういう家庭がなぜ増えているのかは問題にしていない。この社説では、子どもの暴力の要因が家庭にあると決めつけている。
 また、

 子どもが置かれた環境は、親や祖父母の時代とはすっかり変わってしまった。
 ゲーム機が広がり、外で遊ばなくなった。体をぶつけあうような遊びもやらない。学校でも塾でも、周りは同じ年齢の子どもばかりだ。
 そうしたさまざまな変化も、子どもにストレスを加え、自制する力を弱めてきたのではないか。

というように述べている。そこに挙げられているような変化がなぜ「子どもにストレスを加え、自制する力を弱め」ることになるのか。それには一切触れない。
 この社説では、子どもの暴力を、社会を見つめ直すきっかけにしたいと言いながら、やっていることは、家庭の問題と社会の変化という二つの問題に子どもの暴力の問題を矮小化することだ。この社説では、全く社会を見つめ直す姿勢など見られない。またこの社説からは、子どもの暴力についてきちんと考察する姿勢も見えない。