安倍氏の著書を読んだ

 先日、購入した
ISBN:4166605240:detail
を読み終えたので、教育分野に限って少し感想などを書いてみる。
 まず、安倍氏は、

 一九八〇年代、イギリスのサッチャー首相は、サッチャー改革と呼ばれたドラスティックな社会改革をおこなった。イギリス社会には、大きな軋轢を生じさせたが、それは、よりよき未来へむけた、いわば創造的破壊だった。
 わたしたちはこの構造改革を、金融ビックバンに象徴される、民営化と市場化の成功例ととらえているはずだ。しかしそればかりではなかった。じつは、サッチャー首相は、イギリス人の精神、とりわけ若者の精神を鍛えなおすという、びっくりするような意識改革をおこなっているのである。それは、壮大な教育改革であった。

と述べている。しかし、その認識は間違っている。大田直子「イギリス新労働党の教育改革‐装置としての「品質保証国家」」『教育学年報』9号 2002年のなかで大田氏はサッチャーの教育改革の失敗として三点挙げている。一つ目は、ナショナルカリキュラムの内容とテストの導入時期について反対され、導入が上手くいかなかったこと。二つ目は、学校サービス提供者の多様化を目指したが、それが上手くいかなかったこと。三つ目は、子どもたちの道徳心の低下を招いたことだ。安倍氏は、サッチャーの教育改革は「イギリス人の精神、とりわけ若者の精神を鍛えなおすという、びっくりするような意識改革」であったと位置付けているが、サッチャーの教育改革は子どもたちの道徳心の低下を招いたという大田氏の指摘を見ればその位置付けが間違いであることに気がつくはずだ。
 大田氏が指摘する「子どもたちの道徳心の低下」はでたらめなことではない。これは、例えば佐貫浩『ISBN:4874982875:title』でも指摘されているし、藤田英典氏がhttp://www.crn.or.jp/LIBRARY/TODAY/9802.HTMで指摘している問題など様々なところで指摘されていることだ。
 安倍氏は、

サッチャーの後は、メージャーがこの政策を引き継ぎ、なんと労働党のブレアもこれを引き継いだのだった。しかもブレアは、教育改革は自分たちの成果である、とまで自負しているのである。

と述べている。しかし、これも間違っている。ブレアは、サッチャーからメージャーへと続いた保守党の政策を批判した。ブレアは、首相就任後の演説で「Education,education and education」と述べたように教育を最優先課題として掲げた。それは、サッチャーの行った教育改革を引き継ぐのではなく、サッチャーの教育改革によって生み出された課題に立ち向かうことを意味している。
 大田直子「国家の教育責任の新たなる在り方 : イギリス「品質保証国家」の教育政策」教育学研究 第71巻第1号 日本教育学会のなかで、大田氏はサッチャーの教育改革を「品質保証国家の教育政策」と名付けている。ブレアはその教育政策を引き継いだと見られている。だが、大田氏が同論文の中で「労働党政権の教育政策は、「品質保証国家」のもうひとつの可能性」をしめしていると述べているように、ブレアはサッチャーの教育政策をそのまま引き継いだものではない。
 安倍氏は、ブレア政権の「リスペクト・アクション・プラン」を紹介している。ブレアはそれだけではなく、「社会的排除防止局(Social Exclusion Unit)」を設置し、メインストリームから外れた若者たちなど社会的に排除されたものたちをもう一度メインストリームに戻す政策を打ち出したりもしている。
 また、教育に話を戻せば、ブレア政権では、http://www.crn.or.jp/LIBRARY/GB/15.HTMで山下博美氏が紹介しているシティズンシップ・エデュケーション(市民教育)などの取り組みも行っている。
 長々と書いてきたが、安倍氏が言うサッチャーの壮大な教育改革が失敗であったことと、ブレアが行っている教育改革がそのサッチャーの教育政策をそのまま受け継いだものではないことは明らかだ。安倍氏サッチャーの教育改革をモデルとして考えているようだが、サッチャーの教育改革の何を取り入れようと考えているのだろうか。まさか、安倍氏は失敗した部分を取り入れようとしているのではないだろう。
 次回以降も、安倍氏の著書の第七章に書かれてあることについて書いていきたい。