あきれた話

総合的学習、根本的見直し 次期指導要綱

 この記事を読みながら、中教審の委員は何を考えて議論をしているのだろうかと呆れてしまった。この記事にあるような総合的な学習の時間になるなら廃止した方が良い。
 まず、「評価」について。この記事から見えるのは、「評価」を単に学力を測る物差しと考えているということ。そういう捉え方しかできないから「授業のやり放しではだめ。きちんとした評価を」「子どもの成長を測るにも評価は必要」などということしか言えない。
 「学力」について。中教審の議論は「学力低下」という批判にあまりにも引きずられすぎている。「学力」(非常に見えやすく、測りやすい非常に狭い学力。)の身に付かないものは廃止するか、そういう学力を身に付けさせるものに変えようというもの。どちらもおかしい。
 総合的な学習の時間は、非常に狭い学力観に陥りやすいのを防ぐ役目を持つし、「評価」を単に学力を測る物差しだという考え方を転換する役目を担えたはずだ。しかし、その役目を果たすことなく骨抜きにされて細々と生き残ることになりそうだ。そういうものなら要らない。即廃止すべきだ。
 教師にとっても不幸なことだ。なぜなら、自分たちでカリキュラムを編成し、実践していく。そういう能力を育成できる機会を放棄することになるからだ。国が決めたこと、教科書に書いてあること、指導書に書いてあること、誰かがやったこと。その通りにやれば教師でいられる。そういうことがこれからも続き、より強化されることになる。自分で作り、実施し、練り上げていく。そういうことはこれからほとんど行われなくなるのかもしれない。
 この記事のことについてKOYASUさんが書いておられるのでリンクしておきます。私が書いたことよりも、KOYASUさんのエントリーを読まれた方が問題が何かはっきりすると思います。