【正論】京都大学教授・西村和雄 日本の再生には先ず公教育充実を 産経新聞 について

 最近、フランスに住む知人が一時帰国した。11歳と8歳の子供がいて、3年前にフランス人の夫と離婚したとのこと。生活は楽ではないが、大学で日本語を教えていて若干の収入があり、高校まで授業料がタダなので、やっていけるそうだ。日本にいる両親が高齢化しているので帰国したいが、日本の高い教育費を考えるとあきらめざるを得ないとのことであった
 私が仲間と、3つの私大卒業生を対象に2001年時点で調査したときには、希望する数の子供を持てない理由の第1が「教育費の高さ」、2位が「生活費の高さ」、3位が「仕事との両立の難しさ」であった。教育費がかさむのは、低下した公的教育を家庭で補わざるを得ないからだ。公教育の充実は重要な少子化対策なのである。

 私は、どうしてもこういう主張をそのまま受け容れることはできない。なぜなら、日本の教育費が高負担になっている要因は単に公教育の質の低さだけが要因ではないからだ。教育費高騰の背景には、学力の問題、公的資金の支出の問題、経済の問題、社会の意識の問題など様々な要因がある。「公教育の充実」ということで、カリキュラムを変えたり、公的資金を今以上に支出するというだけでは、決して教育費の高騰に歯止めをかけることはできない。

 子供の非行や犯罪の原因については家庭の問題も指摘されるが、それで教育行政が免責されるわけではない。1967年から続いてきた中学校における内申書重視が、現在では絶対評価の名の下に、教科の成績を子供の態度まで加味して決める制度になっていて、子供たちの心に計り知れない悪影響を与えてきた。教員が子供の「意欲・関心・態度」などを点数化する評価制度は廃止すべきだろう。
 また、子供たちの倫理観や、家族、地域、国家に対する帰属意識を醸成してゆくには、20人程度の少人数学級で、家庭とも連携することが不可欠であろう。

 この主張は、いわゆる「ゆとり教育」が「受験地獄」から子どもたちを解放するという主張を背景にして推進されたのと同じことを言っている。今の状況は、「子供たちの心に計り知れない悪影響を与えて」いる。だから、それを変えなければいけないのだと。
 広田照幸氏が、

 子供たちは必ず、大人の教育的配慮の網の目をすり抜けていくし、「教育万能神話」にもかかわらず、多くの事件は、教育とは無関係に今後も起きていってしまうだろう。

と主張しているように、「1967年から続いてきた中学校における内申書重視」や「絶対評価の名の下に、教科の成績を子供の態度まで加味して決める制度」、「教員が子供の「意欲・関心・態度」などを点数化する評価制度」を止めても、それで子供の非行や犯罪を減らすことはできない。

 子供の犯罪、読解力の低下、ニートの増加、一般的倫理観の欠如など、すべてに共通するのは論理的思考力の低下である。親を殺せば、この先の自分の生活が立たなくなること、将来、仕事をしてゆく上では、学力か技術を身につけなければならないことなど、論理的に考えていればわかるはずのことである。

 この主張は納得できない。なぜなら、「論理的思考力の低下」しているという今の子どもだけでなく、それ以前においても同様の犯罪は起きているからだ。また、論理的に考えることさえできない状況に子ども追い込まれているという問題がある。だから、論理的に考える力を育成するというだけでは、この問題は解決しない。

 教科書が簡素になり過ぎて、読む価値がなくなっていることも、さらに読解力を低下させている原因である。
 子供の自学自習が可能な小学算数の教材『学ぼう算数』(数研出版)を使用した都下の公立小学校がある。
 6月8日に発表された都の学力テストの結果では、前年度に市で21校中20位であった同校の順位が今年は5位に上がり、特に、『学ぼう算数』を主として使ったクラスの平均点は、都でトップの文京区(330点)をさらに20点も上回るものであった。これは算数だけでなく国語、理科、社会を含めた結果である。
 平均点が上がった最大の要因は、学習が遅れた子供たちの成績を都の平均よりも高い水準まで引き上げたことにある。カリキュラムと教科書が改善されれば読解力も回復する例であり、初等教育で今、最も大きな問題となっている学力の二極化も防げるという良い例ではないだろうか。

 カリキュラムや教科書を変えることで、子どもの学力に何らかの変化が起こることは確かだ。しかし、カリキュラムと教科書が改善されれば、「読解力も回復」し、「初等教育で今、最も大きな問題となっている学力の二極化も防げる」と言えるかどうかは分からない。
 今必要なことは、西村氏の主張のように、曖昧で大まかな処方せんを示して、「公教育の充実」というようなスローガンを掲げることではなく、「教育の問題」について背景にある要因をていねいに析出し、その上で具体的な方策を考え、講じることだ。そうしなければ、問題は一向に改善されることはない。