教育被害者ということ

 よく、偏向した教育を受けた。ゆとり教育を受けた。私は被害者だ。とか、彼らは被害者だということがある。その背後にあるのは、「教育は間違わない」という確信のようなものや信仰なのではないか。この教育こそ最良で最上のもの。それ以外の教育はダメという考え方。そういうものも背景にある。教育被害者だと言っている人が教育被害者を再生産することだってある。でも、それには気が付かない。
 教育がこの世に登場してこれまで間違いのない教育、最良で最上の教育なんて存在したことはない。教育は間違いもするし、失敗もする。だから、それを前提にした教育が必要になる。その教育は、この教育こそ最良で最上のもの。それ以外の教育はダメというものではないだろう。