特別な空間と子どもたち

命の大切さ考えて。県教委など道徳教育重視(岩手)

 この記事にあるような取り組みには次のような問題がある。それは、アニメも農作業体験も福祉施設の訪問も子どもにとっては現実の生活や社会とは切り離された空間の経験であること。そして、その空間では子どもは色々なことを感じ、考えているかもしれない。しかし、日常の生活、社会に戻った時、そこで感じたことや考えたことと、日常の生活や社会で感じ、考えることとは区別するようになる。つまり、子どもはそういう空間で感じたこと、考えたことは「特別なこと」であり、それが日常の生活や社会の中で通用することだとは考えないということだ。
 また、こういう取り組みでは、子どもの日常生活や社会の問題について取りあげることがない。だから、子どもが自分の周りにある問題について考え、その過程で様々な判断や行動することがない。子どもは未熟だから、大人が教えなければいけないと言って、子どもに判断させたり、行動させる機会を提供しない。それは、子どもにとって大きなマイナスになる。判断させたり、行動する機会を奪いながら、未熟だと言い続けるのは間違っている。
 こういう取り組みでは、大人は自分たちの経験などに信頼や自信を持っていて、子どもは昔はこうだったんだとノスタルジーに浸りながら語る大人の姿を見せられる。しかし、子どもが置かれている状況が変化している以上、大人の経験が今の子どもにも同じように通用するとは限らない。子どもは問題を抱え、どうしたらいいのか迷っているのかもしれない、だけど大人はそういう問題に目を向けず、自分たちのことだけを語る。そういう子どもにとっては、そこで語られることは他人事としてしか受け止めないのではないか。
 こういう取り組みは、大人の自己満足に終わる危険性がある。そうならないためには、子どもに目を向けることが必要だし、子どもと話をすることが必要だ。それは、何も特別なことではない。