教科書採択の基準

つくる会』教科書を採択 都立白鴎高付中『公民』で

 ここで言いたいのは、「つくる会」の教科書が採択されたことではなく、記事の

 採択に際して、都教委事務局は事前に八社の公民教科書を比較した調査研究資料を作成し、委員に配布していた。資料は白鴎の教育目標が日本の文化・伝統への理解を掲げ、公民で、主体的に課題を解決する能力を養うこととされていることに着目し、(1)日本の文化・伝統を扱っている個所(2)インターネットによる調べ学習の仕方を紹介したり、実際に「調べ学習」に活用できるホームページアドレスの項目数の二点について、数値データを提示した。
 扶桑社版は(1)は三十カ所で八社中、二番目に多く、(2)は九十七カ所で三番目に多かった。

というのがおかしいのではないかということ。
 都教委の作成した参考資料が教科書採択の参考にされた。もしそうであるならば、これほど馬鹿げたことはない。
 「日本の文化・伝統を扱っている個所」について数値化したという。他の教科書で「日本の文化・伝統を扱っている個所」が少なければ、教員が自分で必要な資料を揃えたりすることでそれは十分に補うことができる。教科書に記述されているかどうかは大きな差ではない。教科書に十分な記述がなければ子どもが学ばないのではない。記述があるなしにかかわらず、必要ならば教員の判断でいくらでもできる。だから、こういう基準で教科書を比較するのは間違っている。
 「インターネットによる調べ学習の仕方を紹介したり、実際に「調べ学習」に活用できるホームページアドレスの項目数の二点について、数値データを提示した。」これも先程と同じように、調べ方やアドレスは教員が指導したり提示することは可能だ。また、子どもたち自身で必要なアドレスを検索させることも可能だ。だから、教科書にそういうのがあるかどうかは学ぶ上で大きな影響を及ぼさない。
 このように、都教委が作成したものは教科書を採択するのに参考となるような資料ではないし、そういうもので教科書が採択されるのはおかしい。
 教科書はもう少しきちんとした基準で、きちんとした資料を基にして採択すべきだ。こういう基準、資料しか提示できない教育委員会と、こういう資料に全く疑問も持たない教育委員にはもう少しよく考えてもらいたい。