こんな不見識なことをよく言えるものだ
「トラブルばかり報道しないで」/自民勉強会で講師の阿部氏
放射線に関する県の顧問も務める阿部氏は、学校などでの原子力教育の必要性を強調した上で、「フランスは原子力教育に力を入れたので、割と小さいトラブルは新聞に出ない。日本は教育を怠ったので、ちょっとしたことでも記事になっちゃう」と批判。「報道の仕方で(市民が)すごく不安に陥る。記者の方には気を付けていただきたい」とも語った。
日本におけるエネルギー教育や原子力教育の問題点は、電力会社や原子力を推進したい方々の主張やデータについて何ら検証することなく行われ、そういうものを鵜呑みにする子どもたちを育成していること。
阿部氏は「日本は教育を怠った」と主張しているが、阿部氏の言う原子力教育は企業や政府の主張やデータを鵜呑みにするような子どもを育成する教育が足りなかったということ。そんな教育を推進してどうする。
また、阿部氏はトラブルを報道するなといっているが、そういうことをよく言えたものだ。筋違いだろう。それならば、教育や教員などの問題を一々細かいことまで報道するなと言ったらどうなる。それこそ教育や教員への信頼は失墜してしまうだろう。
教育や教員についての報道のなかには、「そうらしい」「そう感じる」「昔はこうだった」というだけだったり、きちんと問題の核心が何か調べたのかと思うようなものもある。だけど、報道を規制して何になるのか。間違った報道があれば、それを批判したり、根拠を示して反論したりすればいい。
阿部氏の言っていることは到底理解できない。また、そういう人の望むような教育をしてほしいとも思わないし、したいとも思わない。