あれかこれかではなく

 時事通信社「内外教育」 2006年7月4日 第5663号より引用。

《二分法思考と単一価値観による改革の害》
              前日本国際教育支援協会理事長 福田昭昌

 善でなければ悪、悪でなければ善。かかる二分法の思考は、事の複雑な要素を大胆に切り捨てるので分かりやすい。故に政治やマスコミのキャンペーンでしばしば活用されて時代をリードする。
 不易は悪で流行は善、保守は悪で革新や破壊は善、公や官は悪で私や民間は善、勤倹貯蓄は悪で消費や投機は善、重厚長大は悪で軽薄短小は善、玄人は悪で素人は善、規制は悪で自由は善、小なる多様は悪で大なる統合は善、収益なき公共公益は悪で市場原理は善、補助金による国策の展開は悪で地方交付税と起債による自治体統御は善等々。これらは、現実にここ20年来その時々に、経済的利益を唯一、至高の価値とする価値観の下に喧伝されてきたものである。
 これが、旧弊に対する改革指針としての理念たるを超えて、改革手段たる具体的施策の改革規準として無条件に適用されると、思考停止による無責任、極端の施策となって、時に国家社会に甚大な弊害を及ぼす。
 教育に対する社会からの批判、要求もまた、時々の社会現象を背景として、とかく二項対立の理念の間を極端に揺れ動く傾向にある。
 教育の目的は、個人の育成か国民の育成か、国民の育成か国際人の育成か、人格の涵養か能力の涵養か。人間性は性善か性悪か、意志は必然か自由か。教育の課題は知育か徳育か、学力か豊かな心か、明日のための能力かすぐ役立つ能力か、理性か感性か。教育内容の重点は共通性の確保・基礎基本か個性尊重・多様化か、知識技能か思考力か、論理的思考か直観的思考か、系統学習か問題解決学習か。教育の責任は家庭か学校か、国か地方自治体か等々、これまた枚挙にいとまがない。
 教育問題の根本に常在するかかる両極の論を、脳中の理念をもって両断に適用して行う改革の弊はもとよりであるが、教育論なく専ら経済的価値至上主義に立って居丈高、性急に指令される思い付き改革もまた極端の害を生む。解明なお人智を超える教育問題の改革の本道は、中庸と着実性にある。