学習指導要領の不思議

 国旗・国歌の問題や教科書などの問題には必ず「学習指導要領」が登場する。そういうときの役回りは水戸黄門の印籠。学習指導要領にこういう記述があるではないか。とそれを根拠に「悪」は成敗される。元々は「試案」だったものがいつの間にか悪を成敗する根拠になるくらい「有り難い」存在になっている。
 だけど、いつでもそれが通用するわけではない。学習指導要領の記述などいとも簡単に無視される。そういう例はいくらでも挙げることができる。それも、さっきまで学習指導要領を印籠として使っていた人が、無視をすることもよくある。
 学習指導要領というのは、利用しようとする人にとってとても都合の良いもの。だから、そういうものを持ち出してきて、それに従わないのはおかしいとか、記述から外れているからおかしいという批判をし、その批判が正当化されるのが不思議でならない。