教師教育の問題点

 エジンバラ大学教授のパメラ・マン氏はある講演で次のように述べている。

 イギリスの教師教育でこの十数年特にその傾向が強くなってきたのだが、非常に大きな問題として、教師教育の現状が教育の技術的能力や教授能力を強調していて、教育社会学、あるいは哲学や心理学の領域での学習がおろそかにされている

 同じことが日本の教師教育にも言える。学部段階の教員養成課程だけでなく大学院においても、専門職大学人においても、また、師範塾などにおいても同様の傾向はあるし、現場でも技術的能力や教授能力ばかりが強調され、そこばかり評価される。また、市販されている教員向けの書籍も技術的能力や教授能力に関するものが出版されている。
 それは、決して好ましい傾向ではない。その理由は、教師の資質の基盤となるものは技術的能力や教授能力ではなく、むしろ教育社会学、あるいは哲学や心理学の領域での学習やその他の分野の学習で得られたものだからだ。そこをおろそかにして、技術的能力や教授能力ばかりを伸ばそうとするのは、しっかりとした基礎を作らないまま家を建てているようなものだ。
 また、そういう学習がおろそかになれば、「何をどのように教えるか」ということを教員は考えなくなる。既にある内容を教科書と教具を使い、自分の技術で教える。教員が考えるのは「既にあるものをどう教えるか」というところだけだ。そのために、内容を批判的に検討するということが無くなる。
 教員が技術で教科書の内容を教えるだけで良いというならばそれは「不能化した教員」であり、そういう教員を養成するのには時間も労力もそうかからない。いくらでも即席の均質的な教員が製造できる。
 大学で学んだことは現場ではほとんど役に立たないと言われる。確かに、狭い領域に入りすぎていて現場で役に立たないものもある。しかし、大学で学んだものが無駄だったのではなく、様々なものと結びついて暗黙知として活用されている。それははっきりと教員に意識されないから役に立たないと言われる。今は、そういう見えにくい部分の学びが役に立たないものとして軽視され、削減されている。
 困難な状況に陥ったとき、必要なものは基盤であり、それをしっかりと作り上げることが教員の資質向上につながる。

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