教育基本法第十条と教育委員会

 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060617/1150482116教育委員会法案の質疑の一部を引用した。森戸辰男文部大臣は次のように述べている。

 第三には、基本法における「不当の支配」ということでありますが、この問題は、日本の過去の教育において、殊に戰前、戰時中の教育におきましては、日本の教育がいろいろ力で影響されておいたということであります。他面では中央集権的な文部行政における官僚の影響もございます。他面ではまた軍部等の支配が強く教育の上に及んだということは申すまでもないことであります。なおいわゆる地方における内務官僚の教育に及ぼした影響も、非常に多いのであります。これらのことは教育の自主制といいまするか、自律といいますか、それが非常に傷つけられたということがある。こういう不当な支配から教育は脱しなければならぬというところに観点があるのであります。從つて教育刷新の目標といたしております一つの大きな点は、教育の民主化と刷新に存しておるのであります。また先ほど申し上げました刷新委員会の方針も、教育使節團の勧告も、また基本法の私どもに示しておりますところも、いずれも同じ目標を指さしておるのでありまして、教育委員会法はこれらの方向、趣旨に從いながら、またわが國の現状の要請にも即しまして、教育刷新の重要な項目でありまする教育の民主化を徹底する方途として、地方教育の法案が考えられておるのであります。教育民主化の大きな方向は、一つは中央集権的な、いわゆる文部官僚の支配に教育が動かされるということについて、改められなければならぬという点と、他面教育以外の方面の力、戰前におきましては殊に軍部の影響、また内務官僚の支配というようなものからも教育が脱することが必要である、こういうような二つの線がありまして、從つて実は教育委員会法は、この二つの線から教育の民主化を行つていくということを目標といたしておるのであります。そこで中央の文部省の支配に対して、地方に権限を與える、また今日軍部はなくなりましたけれども、おそれることは地方のいわゆる一般行政からあるいは起るかもしれない危險に対して教育を独立させよう、こういうような方向を指さしておるものと御了承願いたいのであります。

 教育委員会法の第一条は、

第1条 この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする。

となっている。
 森戸文部大臣は、教育委員会の設置は「一つは中央集権的な、いわゆる文部官僚の支配に教育が動かされるということについて、改められなければならぬという点と、他面教育以外の方面の力、戰前におきましては殊に軍部の影響、また内務官僚の支配というようなものからも教育が脱することが必要である、こういうような二つの線がありまして、從つて実は教育委員会法は、この二つの線から教育の民主化を行つていくということを目標といたしておるのであります。そこで中央の文部省の支配に対して、地方に権限を與える、また今日軍部はなくなりましたけれども、おそれることは地方のいわゆる一般行政からあるいは起るかもしれない危險に対して教育を独立させ」るためにあると述べている。
 現在の教育委員会の姿からはこのような経緯があったことなど想像できない。教育委員会法案の審議をしていた当時の人たちは、将来、地方の議員が教育委員を従えて学校へ行き、あれこれと批判をし、教材などを持ち去るという事態が起こるなど想像もしていなかっただろう。当時の人たちはそういう事態が起こってはならないと考えていただろうから。
 昭和31年に教育委員会法が廃止された後、教育基本法教育委員会法が共通して持っていた目標としての「教育の独立」は今では全く異なる形に変えられている。教育基本法改正案では、その当時とはさらに懸け離れたものに変えようとしている。
 水谷昇議員の質問に対する森戸文部大臣の答弁をここに引用しておきたい。

 先ほどもお答えいたしましたように、日本の過去、殊に戰時中あるいは戰爭直前における日本の教育行政のあり方におきましては、一方では文部官僚、他方では軍部、内務官僚等の形で、地方の教育が不当な支配を受けたという事実は、否定することができないのであります。終戰後の教育刷新の時代におきましては、軍部はなくなりましたし、いわゆる内務官僚というものも、すでに昔の形ではなくなつたのでありまして、こういう不当な支配が行われる仕組というものは、きわめて少くなつたと解すべきであります。そして私ども文部当局にあります者も、不当な支配を及ぼそうという考えは毛頭ありませんし、そういうことはあり得べきはずはないと考えておるのであります。しかしながら、他面將來そういうような危險が全然ないということも確言できませんので、政府といたしましては、そういうことのないようにということが、この意図であるのであります。最も大きなねらいは、自分の子供を教育していこうという地方の人々が、直接に自分の子供を教える先生方について、自分の意思を表明し、教育委員会を通してこの意思に副うように、しかもそれは日本の國民でありますから、日本の國民の全体としての理想をもつておるのでありますけれども、地方々々によつてその理想が地方の状況に副いながら行われるということを、委員会によつて期待しよう、こういうところにあるものと存ずるのであります。

 これこそが教育委員会の本来の在り方であり、文部科学省などが「教育の中立」などと主張してもそういうのは偽りでしかない。この当時の姿へ戻すことが本来の意味での「教育の中立」を保つことにつながるのではないか。

6月26日追記

教育委の定数や担当事務、弾力化可能に…文科省方針

 文科省は、なぜ教育委員会が「形骸化」したのか全く分かっていない。また、「形骸化」していると批判している側も全く分かっていない。このままいけば、教育委員会はますます形骸化してしまう。