教育の中立とは

教育基本法改正 インタビュー(上)

 中曽根氏は、

与党案は「不当な支配に服することなく」という文言を残している。不当な支配を排除することは、教育の中立性を維持する意味では重要なポイントだと思う。

と述べている。教育基本法を審議している国会議員の多くもこのように考えているようだ。しかし、これは全くの誤りだ。
 田中耕太郎氏は次のように述べている。

 教育がその本質上「不当な支配」に服することがあってはならないにしても、このことは教育を全く無統制、自由放任に任すべきものなることを意味しない。教育に関しても国や地方公共団体は広範な範囲において教育に関する任務を負担する。従って国や地方公共団体は教育に関して単に教育に対する妨害の排除ばかりではなく、積極的な役割を演じなければならない。
 そこで教育行政の任務と限界はどこにあるのか。それは教育の本質や教育者の使命を考えて、その自由と自主性を保持し、そのために教育の具体的な活動の内容に立ち入って命令監督することを避けなければならない。つまり教育行政の一つの特色とするところは、一般行政において行われているような官僚的指揮監督の排除でなければならない。(中略)真の教育はのびのびした自由な精神的環境の中において育つ。さような環境は教え子の人格の完成のために絶対に必要である。教師が自由を失い自発性を阻害されるかぎりは、教え子の人格の完成と個性の発展を期待することができないのである。従って教育行政の本旨とするところは、命令、監督ではなく、援助、助言であり、干渉でなく助成である。

 中曽根氏などが考えている「教育の中立性」では、教職員組合などによる「不当な支配」に服さないということであり、教育行政の「不当な支配」は想定されていない。しかし、田中氏は、教育行政の積極的な役割は認めているが、教育行政が教育の具体的な活動や内容にまで立ち入ることは認めず、教育行政の役割の限界を明確にしている。
 「教育の中立性」や「教育の独立」が現行の教育基本法やその他の法令で、きちんと保障されているとは言い難い。しかし、与党案や民主党案では現行よりもさらに後退していて、教育行政の役割は田中氏の言う限界を超えても不当な支配とはならないようになっている。教育は国にとって重要なものである。しかし、重要の度合いが高いから、国(行政)に大きな権限が与えられて当然というものではない。
 現行の教育基本法の第十条は、教育を自分の意に添うようにしたいと考えている人たちにとっては、邪魔なものであり、大きな障壁となっている。その役割は、今後も維持されなければならないし、さらに強化されるべきだ。