これは、違法か合法か

 いわゆる旭川学力テスト事件の最高裁判決を読みながら、考えたこと。教育基本法第十条の解釈について述べた中で、

 思うに、国の教育行政機関が法律の授権に基づいて義務教育に属する普通教育の内容及び方法について遵守すべき基準を設定する場合には、教師の創意工夫の尊重等教基法一〇条に関してさきに述べたところのほか、後述する教育に関する地方自治の原則をも考慮し、右教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものと解しなければならないけれども、右の大綱的基準の範囲に関する原判決の見解は、狭きに失し、これを採用することはできないと考える。
 これを前記学習指導要領についていえば、文部大臣は、学校教育法三八条、一〇六条による中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、はたしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、また、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。
 それ故、上記指導要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるものと解するのが、相当である。

としている。この判決を読む限り、学習指導要領の規定を根拠としていても、「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地」を奪うことは違法であると解釈できる。
 しかし、現実には学習指導要領の記述に関係なく学習指導要領は「法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるもの」として解釈されている。そのために、学習指導要領の記述を根拠として、「教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地」を奪うような行為であっても合法であるというような見解が見られる。それは、学習指導要領に関するこの判決の拡大解釈ではないだろうか。
 また、最高裁判決は教育行政が教育内容や方法に対して介入できるのは、「許容される目的のために必要かつ合理的と認められる」場合に限っている。そう考えるならば、「発達段階」というようなものはそれだけでは内容や方法へ介入する根拠とはならない。なぜなら、「発達段階」は「絶対」の規準ではないからだ。ある程度共通する部分があるとしても、発達は個々の子どもによって異なるのであり、それを厳密に教育内容や方法に適用することはできない。それは「教師による創造的かつ弾力的な教育」に任せられるような部分だ。また、学習指導要領の記述は「発達段階」を厳密に適用したものではなく、その記述から確定した発達段階の基準を見出すことはできない。そういうことから「発達段階」のようなものだけを根拠とする教育内容や方法への介入は違法であると考える。
 近年特に学習指導要領の記述を根拠とする教育内容や方法への介入が頻繁に行われている。その中にはこの最高裁判決を拡大解釈して行為を正当化しているものがある。
 お断りしておきますが、ここに示したのは、専門家の見解ではなく、単なる個人的な解釈にすぎません。
 教育基本法第十条の条文だけではこういう問題に対処できない。教育基本法以外の法令と教育基本法との関係が本当に

 教基法は、憲法において教育のあり方の基本を定めることに代えて、わが国の教育及び教育制度全体を通じる基本理念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであつて、戦後のわが国の政治、社会、文化の各方面における諸改革中最も重要な問題の一つとされていた教育の根本的改革を目途として制定された諸立法の中で中心的地位を占める法律であり、このことは、同法の前文の文言及び各規定の内容に徴しても、明らかである。それ故、同法における定めは、形式的には通常の法律規定として、これと矛盾する他の法律規定を無効にする効力をもつものではないけれども、一般に教育関係法令の解釈及び運用については、法律自体に別段の規定がない限り、できるだけ教基法の規定及び同法の趣旨、目的に沿うように考慮が払われなければならないというべきである。

という状況にあるだろうか。教育基本法第十条が行政側にも一定の制限を設けているのに対し、今提出されている教育基本法改正案では行政側への制限を無くそうとしている。行政側の不当な支配や介入を棚に上げ組合などの不当な支配や介入などを批判している。それは一方的なものであり妥当性を欠いている。
 教育基本法に関しては、憲法の保障する思想・信条の自由というような観点からの議論は多いが教育基本法第十条に関する議論は少ない。今回このようなことを書いたのは教育基本法第十条の問題の一例となると考えたからだ。