教育基本法改正反対という主張は届いているか

「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題

「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題

 この中で広田氏は、

 教育基本法改正論者の典型的なレトリックは、「教育の現状には問題がある。また、これからの日本は○○のようになるべきだ。だから教育基本法を××のように変える必要がある」というふうなものである。しかし、ここには、いくつかの論の飛躍がある。第一に、教育の現状に問題があるということと、だから教育基本法を変えなければならないという主張の間にある、論の飛躍である。第二に、教育の現状に問題があるということと、だから「××のように」変えなければならないということとの間の飛躍である。第三に、「これからの日本は○○のようになるべきだ」という像の妥当性や合意の問題である。第四に、仮に「これからの日本は○○のようになるべきだ」と認めてみた場合に、「教育基本法を××のように変える」のが果たして適切な方策かどうか、という問題である。

ということを指摘している。ここで指摘されている問題は、教育基本法改正反対論者のレトリックにも同じように見られる。双方ともに論に飛躍があるために議論は咬み合わず、互いの主張を一方的にして終わりになっている。また、「教育の現状には問題がある。」という前提は教育基本法改正論者も改正反対論者も共有している面がある。
 与党案が示された後、民主党は広田氏の指摘するような論の飛躍を指摘し改正論の妥当性を否定し、その飛躍を埋めるための政策提言をするべきだった。しかし、「教育の現状には問題がある」という前提を共有しているために与党案とほとんど同じ内容の「対案」(対案になっていない)を出してきた。そのために、昨日の鳩山氏の質疑では教育基本法改正に現在反対する主たる理由は、手順が違うという点であり、与党案の妥当性を否定するものにはならなかった。
 教育基本法改正反対という主張は、届けたいところへきちんと届いているだろうか。広田氏は「「なぜ改正がなされようとしているのか」という問題とは別に、「改正は果たして望ましいのか?」という問いが建てられる必要がある。」と述べている。「改正は果たして望ましいのか?」という問いを立て、教育の現状はどうなっているのか、その現状の問題点は何か、その問題点の解決には何が必要か。それを一つ一つ丁寧に見ていくことを教育基本法改正論反対の主張を届けるための戦略とすべきではないだろうか。