教育基本法 民主党検討会案について

民主党 日本国教育基本法案(新法)要綱(検討会案)について

 民主党の検討会案についていくつか疑問な点などを挙げておきたい。

前文

 心身ともに健やかな人間の育成は、教育の原点である家庭と、学校、地域、社会の、広義の教育の力によって達成されるものである。

 この法律で言う「教育」が広義の意味での教育を指していることは、このように項目を並べなくても十分に理解される。「心身ともに健やかな人間の育成は、教育の力によって達成されるものである。」とするほうがすっきりとした文になる。

 また、日本国民ひいては人類の未来、我が国及び世界の将来は、教育の成果に依存する。

 果たして教育にそこまでの責任を負わせられるだろうか。

 我々が直面する課題は、自由と責任についての正しい認識と、また、人と人、国と国、宗教と宗教、人類と自然との間に、共に生き、互いに生かされるという共生の精神を醸成することである。

 「自由と責任についての正しい認識」とは何か。決して自明なことではないはずだ。

 我々が目指す教育は、人間の尊厳と平和を重んじ、生命の尊さを知り、真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心を育み、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成である。
 更に、自立し、自律の精神を持ち、個人や社会に起る不条理な出来事に対して、連帯で取組む豊かな人間性と、公共の精神を大切にする人間の育成である。
 同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。

 第一条で教育の目的が出てくるが、それとこれがどのような関係になるのかよく分からない。先日紹介した田中耕太郎は、

 私は個人的には、国家が法律を以て間然するところのない教育の目的を明示することは不可能にちかいことと考えるものである。それは国家の目的を法律学的に示すことが不可能なのと同様である。憲法が国家目的を条文中に明示することをせず、ただ前文において民主憲法の政治理念を宣明しているにとどめているごとく、教育基本法も第一条と第二条は前文的のものとし、第三条から始まるものとする方がよかったのではあるまいか。

と述べている。

 同時に、日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。

 「日本を愛する心を涵養し」という部分については、与党案と大差はない。結局は同じ結果をもたらす。「新たな文明の創造を希求する」という部分でなぜ「文明」を選択したのか。なぜ「文化」ではいけなかったのか。

 我々は、教育の使命を以上のように認識し、国政の中心に教育を据え、日本国憲法の精神と新たな理念に基づく教育に日本の明日を託す決意をもって、ここに日本国教育基本法を制定する。

 ここで言う「新たな理念」とは何か。

第一条

 教育は、人格の向上発展を目指し、日本国憲法の精神に基づく真の主権者として、人間の尊厳を重んじ、民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者たるに必要な資質を備え、世界の平和と人類の福祉に貢献する心身ともに健やかな人材の育成を期して行われなければならない。

 現教育基本法では「国民の育成」となっていたのを「人材の育成」と変更した理由は何か。先に述べたが前文との関係はどうなっているのか。

第二条

 何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、健康で文化的な生活を営むための学びを十分に奨励・支援・保障され、その内容を選択・決定する権利を有する。

 「学ぶ権利」について明記する理由は何か。「その内容を選択・決定する権利を有する。」というのは教育の内容を選択する権利として捉えて良いのか。その場合、学習指導要領や教科書、学校における教育の内容について選択、拒否する権利を持つと考えても良いのか。

第三条

 何人も、その発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育機会・環境を確保・整備される権利を有する。
 何人も、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 国及び地方公共団体は、すべての幼児・児童・生徒の発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育機会・環境の確保・整備のための施策を策定し、それを実現・実施する責務を有する。
 国及び地方公共団体は、経済的理由によって修学困難な者に対して、十分な奨学の方法を講じなければならない。

 「発達段階」という言葉が繰り返し出てくるが、発達段階に応じることは教育にとっては必要なことだが、それは一律に捉えられるものではなく、法律に示すことは適切ではないと考える。
 「国及び地方公共団体は、すべての幼児・児童・生徒の発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育機会・環境の確保・整備のための施策を策定し、それを実現・実施する責務を有する。
 国及び地方公共団体は、経済的理由によって修学困難な者に対して、十分な奨学の方法を講じなければならない。」という部分は、与党案とは異なり、国と地方との役割分担を明確にはしていない。また、この部分は他の法律との関係も深く、他の法律の改正が必要となる場合が出てくる。それについてはどう考えるのか。

第四条

 国及び地方公共団体は、すべての国民及び日本に居住する外国人に対し、意欲をもって学校教育を受けられるよう、適切かつ最善な学校教育機会・環境の創出と確保・整備に努めなければならない。
 学校教育は、我が国の歴史と伝統文化を踏まえつつ、国際社会の変動、科学・技術の進展その他の社会経済情勢の変化に的確に対応するよう努めなければならない。
 学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。

 「すべての国民及び日本に居住する外国人に対し」ということだが、この法律でいう「何人も」とは外国人も含めるものとして解釈して良いのか。その場合、学校教育法等で認められていない学校などをどうするのかといった問題をどうするのか。
 「国際社会の変動、科学・技術の進展その他の社会経済情勢の変化に的確に対応するよう努めなければならない。」とあるが、「的確に対応する」ための制度などをどうするのか。
 「学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。」とあるが、「十分に発揮されなければならない」ではなく、「保障されなければならない」とすることはできなかったのか。

第五条

 法律に定める学校は、公の性質を有するものであり、その教員は、全体の奉仕者であって、自己の崇高な使命を自覚し、その職責の十全な遂行に努めなければならない。
 法律に定める学校の教員は、その身分が尊重され、その待遇が適正に保障されなければならない。
 教員の養成と研修の充実が図られなければならない。

 「教員は、全体の奉仕者であって」とあるが、「全体」とは何を指すのか。現教育基本法にも「全体の奉仕者」という言葉がある。これは「教育権」の議論などへも影響を与えるもので明確にして欲しい。
 「教員の養成と研修の充実が図られなければならない。」という部分は、ここで示さなくても他の法律で「充実を図る」ことは可能ではないか。

第六条

 幼児期にあるすべての子どもは、その発達段階及びそれぞれの状況に応じて適切かつ最善な教育を受ける権利を有する。
 国及び地方公共団体は、幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入に努める。

 幼児期の教育という項目は現教育基本法には示されていない。しかし、それだから十分な施策が講じられていないということではない。学ぶ権利をこの法律で明記した場合、幼児教育も当然適用される。だから、この法律に示さなくても他の法律等を整備することで十分に対応可能ではないか。

第七条

 何人も、義務教育を受ける権利を有する。保護者は、その保護する子どもに、別に法律で定める期間、普通教育を受けさせる義務を有する。
 義務教育は、真の主権者として民主的で文化的な国家、社会及び家庭の形成者を育成することを目的とし、基礎的な学力の修得及び体力の向上、心身の調和的発達、道徳心の育成、文化的素養の醸成、国際協調の精神の養成及び自主自立の精神の体得を旨とする。
 国は普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。
 国は、普通教育に関し、地方公共団体の行う自主的かつ主体的な施策に配慮し、地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえつつ、その地域の特性に応じた施策を講ずるものとする。
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育に関する授業料については、これを徴収しない。

 「別に法律で定める期間、普通教育を受けさせる義務を有する。」という部分は、義務教育を何年とするか議論する必要が出てくる。
 「基礎的な学力の修得」とあるがその「基礎」とは何か。
 国の有する「最終的な責任」とは何か。

第八条

 高等教育は、我が国の学術研究の分野において、その水準の向上及びその多様化を図るとともに、社会の各分野における創造性に富む担い手を育成することを旨として行われるものとする。
 高等教育を行う学校は、社会に開かれたものとなるよう、職業人としての資質の向上に資する社会人の受入れ拡大、地域・産業・文化・社会などの活性化に資する人材の養成を目指す関係者との連携等を積極的に図るものとする。
 高等教育は、無償教育の漸進的な導入及び奨学制度の充実などにより、能力に応じ、すべての者に対して高等教育を利用する機会が与えられるものとする。

 高等教育は「社会の各分野における創造性に富む担い手を育成する」ことを旨とするとされているが、教育と研究をどのように位置付けるかについては議論が十分に行われていない。
 「高等教育は、無償教育の漸進的な導入及び奨学制度の充実などにより、能力に応じ、すべての者に対して高等教育を利用する機会が与えられるものとする。」という部分は、国際人権規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」の高等教育無償化条項と関係がある。高等教育の無償化をどのようにして実現するかを示す必要がある。

第九条

 何人も、教育の目的を尊重し、法律の定めるところにより建学の自由を有する。国及び地方公共団体はこれを最大限尊重し、併せ、多様な教育機会の確保・整備の観点から、私学及び私学に在籍する者への支援・助成に努めなければならない。

 私学助成は憲法の問題をどうクリアするかが問題だ。それをきちんと解決しなければならない。

第十条

 家庭における教育は、教育の原点であり、子どもの基本的な生活習慣、倫理観、自制心、自尊心等の資質の形成に積極的な役割を果たすことを期待される。
 保護者は、子どもの最善の利益のため、その能力及び資力の範囲内で、その養育及び発達についての第一義的な責任を有する。
 国及び地方公共団体は、保護者等に対して、適切な支援を講じなければならない。
 国及び地方公共団体は、健やかな家庭環境を享受できないすべての子どもに対して、適当な養護、保護及び援助を行わなければならない。

 他国に、このように家庭における教育について法律に明記した例があるだろうか。ほとんど無いのではないか。
 「保護者は、子どもの最善の利益のため、その能力及び資力の範囲内で、その養育及び発達についての第一義的な責任を有する。」というのはここで示さずに、第三条や第四条などに示す方が良いのではないか。

第十一条

 地域における教育は、地域住民の自発的取り組みが尊重され、多くの人々が、学校・家庭との連携の下、その担い手になることが期待され、そのことを奨励されるものとする。

 家庭における教育にしても地域における教育にしても、教育基本法に示さずに、教育施策などを具体的にどうするかということで十分対応できるのではないか。

第十二条

 国及び地方公共団体は、国民が生涯を通じて、あらゆる機会、あらゆる場所において、多様な学習機会を享受できるよう、社会教育の充実に努めなければならない。
 国及び地方公共団体が行う社会教育の充実は、図書館、博物館、公民館などの施設と機能の整備等その他適当な方法によって、図られるものとする。

 生涯学習初等教育から高等教育、社会教育すべてに関わってくる問題だ。例えば、高等教育機関で社会人を受け入れるというのは生涯学習の一環であり、初等教育などにおいても同様に受け入れることが考えられる。社会教育だけが生涯学習の場であると考えるのではなく、広い視点で生涯学習社会をどう実現するかを考えるべきだ。

十三条

 知的、精神的または身体的な障がいを有する子どもは、その尊厳が確保され、自立や社会参加が促進され、適切な生活を享受するため、特別の養護及び教育を受ける権利を有する。国及び地方公共団体は、障がい、発達状況、就学状況など、それぞれの子どもの状況に応じて、適切かつ最善な支援及び援助を行わなければならない。

 「知的、精神的または身体的な障がいを有する子ども」となっているが、子どもと限定する必要はないのではないか。大人でも教育を受ける権利などは保障されるべきなのだから。

第十四条

 何人も、学校教育と社会教育を通じて、勤労の尊さを学び、職業に対する素養と能力を修得するための職業教育を受ける権利を有する。国及び地方公共団体は、職業教育の振興に努めなければならない。

 職業教育をどう整備していくか。それが課題となる。

第十五条

 国政及び地方自治に参画する良識ある真の主権者としての自覚と態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。
 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

 「国政及び地方自治に参画する良識ある真の主権者としての自覚と態度を養う」ための教育内容なども同様に尊重されるのだろうか。

第十六条

 生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。
 宗教的な伝統や文化に関する基本的知識の修得及び宗教の意義の理解は、教育上重視されなければならない。
 宗教的感性の涵養及び宗教に関する寛容の態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。
 国、地方公共団体及びそれらが設置する学校は、特定の宗教教義に基づく宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 「尊重」と「重視」という言葉が出てくるがどのような違いがあるのか。

第十七条

 すべての児童・生徒が、仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得するよう奨励される。
 すべての児童・生徒が、文化的素養を醸成し、他者との対話・交流・協働を促進する基礎となる国語力を身につけるための適切かつ最善な教育機会を得られるよう奨励される。
 すべての児童・生徒が、その健やかな成長に有害な情報から保護されることを期待される。

 「仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、限界及び問題について、的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得する」というのは学習指導要領などで示せばいいことであり、教育基本法に示す必要はないのではないか。
 なぜ「国語力」なのか。「すべての児童・生徒が、文化的素養を醸成し、他者との対話・交流・協働を促進する」ためにはその他の能力も同様に重視すべきではないか。
 「すべての児童・生徒が、その健やかな成長に有害な情報から保護される」ための法整備などをまずはやるべき。

第十八条

 教育行政は、民主的な運営を旨として行われなければならない。
 地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。
 地方公共団体は、教育行政の向上に資するよう、教育行政に関する民主的な組織を整備するものとする。
 地方公共団体が設置する学校は、保護者、地域住民、教育専門家、学校関係者などが参画する学校理事会を設置し、主体的・自律的運営を行うものとする。
 法律で定める学校は、それぞれが行う教育活動に関し、児童・生徒・学生の個人情報の保護に留意しつつ、必要な情報を本人及び保護者など関係者に提供し、かつ、多角的観点から点検・評価に努めなければならない。
 国及び地方公共団体は、学校が行う情報提供・点検・評価等の円滑な実施を支援しなければならない。

 「地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。」これは、これまでの教育行政を大きく変えるものだ。教育委員会ではなく、地方公共団体の長が教育行政を行うことを意味しているからだ。学校運営が「学校理事会」による「主体的・自律的運営」を行うとしても、教育内容や予算などを直接決めることはできない。そのために教育行政は行政の長の影響を大きく受けることになる。それは、決して好ましいことではない。

第十九条

 政府は、国会の承認を得て、教育の振興に関する基本的な計画を定める。政府は、わが国の国内総生産に対する公教育財政支出の比率を指標として、公教育費の確保・充実の目標を計画に盛り込むこととする。その計画及び実績は、国会を通じて国民に報告するものとする。
 地方公共団体は、議会の承認を得て、地域の教育の振興に関する具体的な計画を定める。地方公共団体は、公教育費の確保・充実の目標を計画に盛り込むこととする。その計画及び実績は、議会を通じて地域の住民に報告するものとする。

 教育振興計画の策定は、教育施策を計画的に実施していくことに貢献するかもしれないが、これは道路などと同様に官僚や政治家の権益となる。また、その計画のために教育行政が硬直化する可能性もある。

第二十条

 国及び地方公共団体は、前条に定める計画の実施に必要な十分な予算を安定的に確保しなければならない。

 教育財政については国と地方の負担をどうするか、財源をどうするかをきちんと議論する必要がある。国庫負担の問題のときのように、中途半端な議論と結論にならないようにして欲しい。