学校選択制について

選ばれる学校3:公立小中学校、選択制で人気の固定化

カリキュラム・ポリティックス―現代の教育改革とナショナル・カリキュラム

カリキュラム・ポリティックス―現代の教育改革とナショナル・カリキュラム

 ジェフ・ウィッティは次のように指摘している。

 イングランドでの経験は、親の選択というレトリックにもかかわらず、しばしば現実には選んでいるのは親ではなくむしろ学校である。より人気のある学校はかれらの「理想的な」顧客のイメージに合致しない生徒(そして親)を除外する。それ故これらの学校は作為的に「成功している」学校であるというイメージを高めることができる。それによって真に多様な人員・施設の配置が創り出されているのではなく、異なった種類の学校のヒエラルヒー(序列)が創り出されているのである。

 日本では、ウィッティが指摘するような問題はまだ起きてないかもしれない。なぜなら学校選択制がそれ程普及していないことと、学校側が子どもを選抜するということは一般的には行われていないからだ。しかし、近い将来そういう状況が創り出される可能性がある。それは学力テストの結果が学校の評価の指標として導入されようとしているからだ。
 学力テストの結果が学校の品質を保証する指標として重視されるようになれば、学校は学力テストの結果をよくしようとする。そうなれば、学校内部において学力テストの結果が意図的に操作される可能性がある。学力テストの結果が学校の予算や教員の評価などと連動すればするほどその可能性は高まる。時として「子どものため」という善意の押しつけとして行われることもある。それは、学校の多様化をもたらすのではなく、学力テストという単一の物差しによってランク付けられ、均質化を強めていくだけだ。
 また、ウィッティは「特別な教育要求を持つ子どもたち」が学校選択制によって取り残されていくということも指摘している。特別な教育要求を持つ子どもが普通学校に通おうとしたとき、学校選択制によって教育予算が傾斜的に配分されるためにその子が通える範囲内にある普通学校では予算が不足していて対応できないということもある。
 学校選択制について批判的な立場をとっているのは、学校選択制が導入される際に、多様化に対応するとか、親や子どもなどの権利を拡大すると言われていることに対して「本当にそうか」という思いがあるからだ。学校選択制についてはこれからも時々取り上げていきたい。