日本の「ニート」は名前は同じで諸外国とは全く異なるらしい

正社員採用の拡大

 約80万人といわれるニートはどうだろう。これは難しい。ニートは明らかに豊かさが生み出したという側面がある。働かなくとも、学ばなくとも生活が出来るからニートでいられるのだ。だから今後も増える可能性が高い。貧しい国ではニートは存在できない。児童労働が問題とされる国を見れば瞭然(りょうぜん)だ。いや、かつての日本を振り返ってもよい。ニートとは、豊かさの結果が、将来の貧しさの原因に転じつつあることの兆しなのだろうか。

 これが正しければ、「NEET」という言葉を創り出したイギリスやヨーロッパ諸国と日本の「ニート」は名前は同じでも全く異なるものになる。「貧しい国ではニートは存在できない。」というのはヨーロッパでは全く通用しない論理だからだ。
 宮本みち子氏は次のように指摘している。

 日本型の移行期は,子どもの教育責任をもっぱら親に負わせる日本社会の構造と切り離しがたい。若者の貧困化が隠される日本社会では,真に問題を抱えた若者が存在していることが認識されるのに時間がかかる。親が子どもの移行を支えられない家庭が,どこにどの程度存在しているのかが明らかになりにくい(宮本, 2004)。このことは,EUの若年者雇用政策の対象年齢が10代から20代前半であるのに対して,日本が20代から30代前半に及んでいることにも表れている。日本の若者の困難が,20代の中盤以降でないと顕在化しない社会的文化的環境と無関係ではない。

 社会階層の違いにかかわらず,不安定就労期間が長くなるにしたがって,将来に対する悲観的意識が生まれる。彼らの低い所得水準では親との同居生活が30代に及ぶ可能性がある。もし一人暮しをすれば,最低生活に近い状態になるだろう。自分自身の家庭をもつことも自明とはいえない状態にある。

 この記事を書いた方は、親元に寄生している若者を想定しているが、宮本氏が指摘するようにそういう若者を親元から離した場合、問題はより深刻化する可能性が高い。そうなれば、社会保障費などの増加は避けられないし、そういう若者が社会から孤立することにもなりかねない。そういうことはこの記事を書いた方には理解されていないようだ。
 「ニート」の問題は以前とは少しだが認識が変わってきている。しかし、まだ認識と現実とのギャップは大きい。この記事はその一つの例ではないだろうか。