なぜ全国統一のテストでなければならないのか

4月17日付・読売社説(1) [全国学力テスト]「適度の『競い合い』があってよい」

 調査結果は、詳細な分析データとともに都道府県、市区町村、学校、児童・生徒に返却される。自分たちの地域、学校は、全国レベルと比較してどうなのか、自分はどの分野の学習が弱いのか。そんな状況が把握できる。

 学校や教員の指導、子どもの学習状況を見るのが目的だという。それでなぜ全国統一のテストでなければいけないのだろうか。そういうデータが必要だというなら、県や市区町村単位、学校単位、学級単位という小さな範囲でテストをしても良いではないか。なぜ全国と比較する必要があるのか。
 子どもの学習状況を知りたければ、そのためのテストを実施すればいい。子どものどのような学力を見たいのか。それに応じて適切な方法でテストを行う。そして、子どもにその結果をフィードバックする。それは教室単位で十分できることだ。なぜ全国単位まで広げなければならないのか。
 全国単位でテストを実施するのは「国の教育施策」を評価するのが本来の目的のはず。しかし、その目的ではなく県や市区町村、学校、子どもレベルの評価を目的とするものだと考えられてしまっている。そのために子どもにより近い所で子どもの状況を把握するということが忘れられることにもなる。

 ここは、市区町村の主体性と創意工夫に委ねてみてはどうか。入手データを使って適度な「競い合い」の場を演出し、地域の学校全体のレベル向上を目指すところも出てくるのではないか。

 業者による「学校ランキング」などが出回るかもしれない。保護者は教師、学校に、一つでもランクを上げる指導上の努力を求めるようになるだろう。

 「市区町村の主体性と創意工夫に委ねる」というなら全国統一の学力テストを行う必然性はますます薄れる。また、「適度な競い合いの場」が生まれるためには、学力テストが何のために実施されるのか。その結果をどうするのか。それを子どもや保護者などにきちんと理解してもらう必要がある。そうでなければ、相対的な順位だけに拘泥し、子どもへの適切なフィードバックとその後の対策が忘れられてしまうことになる。また、現段階でも低学力の子どもや障害を持つ子供を除外したり、結果を意図的に操作したりするというのが一部にある。決して楽観できる状況にはない。
 前から何度も指摘してきたことだが、子どもの学力向上への近道は子どもに近い所で評価をし、対策を立て実施していくことだ。全国統一である必然性は全くない。全国統一の学力テストについてはまだ、理解が深まっていると言えるような状況にない。そういう状況で実施しても混乱を招くだけだ。急ぐ必要はない。また、全国統一の学力テストは寄せられている期待ほどの効果は決して望めない。日常的にやれることがきちんとできる。そういう環境を子どもに作ってあげること。それが何よりも優先して実施されるべきだ。