エリート教育によくある誤解

釣島平三郎さんに聞く…論理と教養と使命感を

 この記事についてはいくつか指摘したいことがあるが、それは別の機会にして一つだけ指摘しておきたい。
 例えば、隣の家の外観を見ると立派で、とても住みやすそうに見える。だけど、そこに住んでる人にとっては住みにくい家だということがある。釣島氏の見ているのはアメリカの教育の外観、エリート教育という部分だけだ。
 エリート教育という点ではアメリカやイギリスなどは成功している。しかし、一般の子どもたちへの教育では失敗している。だから、アメリカやイギリスが教育改革をして目指しているのは一般の子どもたちの教育水準を高めることだ。知識社会においてはそれが有利だと考えているからだ。
 エリート教育で成果を上げているアメリカやイギリスに、エリート教育を受けることを目的として行けば、それは望むような教育を受けられるかもしれない。しかし、アメリカやイギリスで一般的な教育を小さいときから受けても、望むような教育は受けられないだろう。
 エリート教育を語る場合、特にアメリカやイギリスの例を挙げるような場合、エリート教育の成功している面だけが強調され、その国の一般的な教育、成果が上がらずに苦悩している面はほとんど触れられない。そのために多くの話は一面だけが美化されることになる。それは、日本の教育に不満を抱く人にとって魅力的だろう。だが、決して現実をそのまま語られているのではない。そこに誤解が生まれる。
 他国の教育制度から学ぶべきことはいくらでもある。しかし、一面だけを見て自国にも導入すべきという主張には同意できない。