ムードだけで進められる論議

4月13日付・読売社説(1)[教育基本法]「区切りがついた『愛国心』論争」

 社説の

 そもそも、不毛な論議に終始していられるほど、日本の教育は楽観できる状態にない。

 戦後間もない1947年に制定された現行法は、「個人の尊厳を重んじ」などの表現が多い反面、公共心の育成には一言も触れていない。制定当初から、「社会的配慮を欠いた自分勝手な生き方を奨励する」と指摘する声があった。

 青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延(まんえん)などを見れば、懸念は現実になったとも言える。

 自公両党は、改正案に「公共の精神」を明記することでも合意している。「親こそ人生最初の教師」との考えから「家庭教育」の条文も新設し、ニート(無業者)の増加を念頭に、「勤労の精神の涵養(かんよう)」を盛り込む。

という部分。教育基本法と青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延との因果関係は一切実証されていない。懸念が現実になったなどというだけでは因果関係があるとは言えない。
 不毛の論議をしているのは教育基本法を改正したいと考えている方々だ。現状をきちんと把握することさえせずに感覚や経験を針小棒大に主張し、ムードを先行させ改革していく。しかし、そのムードが現状を的確に捉えていないと主張してもそれは徒労に終わる。精神論や道徳論などでその議論は不毛な議論へとすり替えられるからだ。
 教育基本法にいくら勤労精神の涵養を入れてもニート・フリーターの問題は解決しない。教育だけで解決できる問題ではないからだ。教育だけでは解決できない問題を教育さえよくなれば解決できるという甘い期待感を増大させている。そういった期待感やムードだけで教育基本法が改正されれば、現実からの乖離はますます大きくなる。
 ムードが先行している現在の状況で議論を深める時間さえないまま改正されるのは間違っている。与党案がやっと出てきたばかりで議論は決して深まっていない。与党が多数で押し切ればこの問題は良い方向へ向かうことはない。