その文化・伝統とは何か
カリキュラム・ポリティックス―現代の教育改革とナショナル・カリキュラム
- 作者: マイケル・W.アップル,長尾彰夫,ジェフウィッティ,Michael W. Apple,Geoff Whitty
- 出版社/メーカー: 東信堂
- 発売日: 1994/06
- メディア: 単行本
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アップルはリチャード・ジョンソンの次のような言葉を引用している。
これらのような表現形式においては、文化は人々の均質的な生活様式、あるいは伝統として考えられ、差異や関係性、または権力の[作用している]領域の一つとしては考えられていない。所与の国民国家あるいは国民内部での社会的方向性や文化の現実の多様性に対する認識は全く与えられていない。にもかかわらず、国民の文化のうちの選択的なものが、どのような社会的アイデンティティ[を持つ人々]に対しても絶対条件として備え付けられる。異なる文化システムからの要素の借り合い、混合、及び融合は、[私たちの社会のような]社会では平凡な日常的実践なのであるが、この枠組みの中では考えられないものは、無益以上のものを生まないある種の文化的悪政と見なされる。だから、「選択」は……国民全体に対する統一文化か、あるいは全く文化なしか、の選択となる。
教育基本法に盛り込まれようとしている「文化」「伝統」は「選択された」ものであり、その選択された文化や伝統の外にある文化や伝統は「無益以上のものを生まないある種の文化的悪政と見なされる」ことにある。
選択された文化や伝統の継承が教育の目的となれば、多様性は否定されることとなる。それは、マイノリティ(選択された文化や伝統の外にある人々)を教育によって社会的に排除していくことになるだろう。
教育基本法の改正案に込められたものは、多様性の追求ではなく、文化的に社会的に均質化・均一化していこうというものだ。文化的違いは、多様性として認められるのではなく、差異として攻撃されることになるだろう。