パターン化すること

 そらさんから、

 「思考がパターン化すること」自体は悪いことだとお考えでしょうか?それとも考え方の一手段として有効性もあるとお考えでしょうか。

というコメントをいただいたので少し書いておこうと思います。
 私は、「パターン化」は悪くないし、非常に難しいことだと考えている。しかし、ここで問題になっているのは、既にパターン化されたものを子どもが単に記憶し、文脈に注意を払うこともなく記憶した型に当てはめて解答するというものだ。これは子どもに良い影響を与えるとは思わない。
 「既にパターン化されたものを子どもが単に記憶し、文脈に注意を払うこともなく記憶した型に当てはめて解答する」ということに慣れた子どもは、公式や定理を様々な場面に適応させるということができない。どのような公式や定理を適応すればいいかということを考えるときに、キーワードを探そうとするために、文脈を無視してしまい、問題の読解ができないからだ。
 「「文章題」の文章は、私たちが日常用いる文章とは異質の、いかにも奇妙な文章」は、キーワードを埋め込むためにつくられた文章であり、それは「既にパターン化されたものを子どもが単に記憶し、文脈に注意を払うこともなく記憶した型に当てはめて解答する」ための文章だ。そういう問題ではパターン化は大いに役立つ。しかし、現実の問題、仕事の中、生活の中で直面する問題で数学を活用しなければならないとき、そのパターン化は障壁となる。また、どれとどれがどのような関係にあるのかを理解していないから、様々な公式を組み合わせていくことができない。
 子どもに既にパターン化したものを記憶させるのではなく、子どもにパターン化させることが重要だ。そういう学びを通して子どもは数学の持つ機能に気が付くからだ。数学は、モデル化することで実際の場面から離れても実際の場面を予測したり、問題が明確になったりするという機能を持つ。その機能を子どもは知らないまま単に公式や定理を使っている。だから、生活や仕事と数学が結びつかないし、子どもにとって必要性の低いものになっている。
 今、基礎・基本の徹底ということで「既にパターン化されたものを子どもが単に記憶し、文脈に注意を払うこともなく記憶した型に当てはめて解答する」学びが多くなっている。しかし、それでは読解力も育成できないし、数学の面白さも重要性も子どもには伝えられない。日常の中に数学を発見する。そういう学びを根気強くやって欲しい。そうしていくことで子どもたちは自らパターン化していくだろう。そうしたパターン化は決して子どもの思考を狭めることはない。