学校の役割

 いじめの問題で語られないのは学校の役割について。いじめられた子どもが学校に通わなくなる。けれど、それは将来大きな不利益を子どもにもたらすことになる。逆にいじめた子どもを学校から排除する。それもまた子どもの不利益になる。学校はそういう子どもを安易に大量に生み出せるのだろうか。学校の役割は子どもに不利益をもたらさないようにすることではないのか。
 学校が問題を抱え込みすぎるという指摘がある。確かにそうだし、それによって問題がさらに深刻化している面もある。けれど、学校が問題を抱え込むことをしなくなれば、その問題は他の誰か、他のどこかが抱え込むことになる。学校が抱え込みすぎている問題を誰がどこが抱えるのか。そういうことをもっと考え、議論すべきだろうと思う。
 いじめの問題で言うと、被害者が学校に通わなくなる、加害者を外に放り出す、つまり、学校が抱え込んでいる問題を放り出すこと。それを主張するときに同時に誰がどこで問題を抱えるのか。それが子どものに不利益をもたらさないようにするにはどうするべきかも主張すべきだろうと思う。