地域の独自性や自主性を取り戻せばいいじゃない

国学力テスト:知事、抽出調査化に疑問 県独自の再開を示唆 /鳥取

 鳥取平井伸治知事には,ぜひ
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を読んでもらいたい。特に「犬山の子どもは犬山で育てる」という言葉の意味をよく考えてもらいたいと思う。
 全国学力テストは,国が行う調査であり,国の教育政策の評価のために必要だから行っている。鳥取の子どもは鳥取で育てるのだから,国が悉皆調査を行わなくとも,必要な調査であればいくらでも鳥取県独自でやればいいこと。抽出調査になるから県独自の調査を復活させたいというのは転倒した議論だ。県の予算でできなければ,国に予算をつけてほしいという要望をしてもいい。国がそれに反対する理由はない。どこがやる調査であっても教育に必要なものであり,それは公共性のあるものだから。
 犬山市教育委員会が全国学力テストに参加しないことを表明したとき,それ以外の地方自治体の関係者はどう考えていただろうか。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20060802/1154482715で取り上げた記事には

参加する最大の理由は「児童生徒の学習到達度を把握し、指導改善に生かす」66・6%、「自分の自治体の水準を把握し、施策に反映させる」23・2%で全体の約90%を占めた。そのほかは「国が一律に実施するもので、参加が当然」6・1%、「各学校の競争意識を促し学力向上を図る」3・2%の順だった。

という調査結果が掲載されていた。「国が一律に実施するもので、参加が当然」という理由を挙げた市区町村長がいる。自分たちで教育に責任を持つという犬山市教育委員会の考え方とは正反対のものだ。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070221/1172034804ではこういうことを書いた。

 全国学力テストは、任意参加だ。だから、参加を強制される必要はない。また、悉皆でないからといって全国学力テストの意義が損なわれることはない。
 全国学力テストなどへの参加が、当然視されることにとても違和感を感じる。国のやることに、地方は何の疑問もなく付き従う。そういうことだから、国が責任を持たなければいけないなどと、おせっかいなことを国が言い始める。国は、お前らがちゃんとしないから、俺たちがやってやろうという傲慢な態度をとり続ける。
 地方は、もう少し自立すべきだ。学力低下の問題になぜ国がこれほどまで関わってこなければいけないのか。学力低下の問題は、地方で対応できる問題ではないか。地方が、やれることを十分にやらないまま、国に頼りきる。地方の教育委員会は自分たちの責任を放棄している。
 全国学力テストへの不参加を、学力問題に本気で取り組まない姿勢の表れだ。などという批判があるなら、それは間違いだ。

 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070424/1177388929では,

 もう一つ、特別視される理由がある。これまでさんざん行われてきた自治体ごとの学力テストや国際的な調査という同趣旨のものが存在したにもかかわらず、全国学力テストでやっと子どもの学力の実態が解明されるかのではないかというような大きな期待が寄せられていること。また、全国学力テストに参加しないことは、子どもの学力について知る手段を失うのではないかという過度の不安。そういうものが背景にあって全国学力テストが特別視されている。

ということを書いた。
 鳥取県知事のように,悉皆調査から抽出調査になると不安だとか支障が出るというような主張がある。それは,自分たちが持っていたものを安易に放棄し,全国学力テストに依存し,それを失うことで生じる不安や支障だ。放棄したものを取り戻すことでそれは解消できる。
 鳥取県知事が考えるべきなのは「鳥取の子どもは鳥取で育てる」ということ。全国学力テストへの依存ではなく地域の独自性や自主性を取り戻すことだ。それは,「管理や統制に素直に従ったり、教育サービスを受け取ることに専念する消費者という受動的な立場から、「当事者」として能動的に教育に関わる立場へと変えていくこと。」だ。