提灯に釣り鐘

 秋田県知事が全国学力調査の市町村別の結果を公表したという。「提灯に釣り鐘」その言葉がぴったりだと思う。その理由は,市町村別の結果を「比較する」ためには,比較可能なもの(数値など)を用いて比較する必要がある。けれども,市町村別の結果を公表する方も,それを見聞きして評したり論じたりする方も比較可能なものを用いてはいない。それは,提灯と釣り鐘を比べて,良い悪い,勝ち負け,優劣をつけ,挙げ句の果てにはそれを競い合わせようとする。そして,そのことに疑問を感じない。
 PISAやNAEPが,なぜ政策の立案や政策を評価する際に根拠となるのか。それは,比較可能なものを比較することを前提としているからだ。そこでは,日本のように提灯と釣り鐘を比較するようなことはしない。
 比較可能なものを比較してこそ意味がある。その前提に立つからこそ調査の必要があり,調査の意味がある。その前提に立たないで,提灯と釣り鐘を比較することは「不当な調査」である。比較可能なものの中で,ゴールが明確であるなら,そこで競うことは意味がある。けれども,今言われている全国学力調査の結果を用いた競争はそういうものではない。
 全国学力調査は悉皆調査で行われている。それだからこそ,比較可能なものを比較するという原則がきちんと守られなければならない。そうした最低限度の原則さえ踏まえることなく,結果を公表するというのは間違っている。公表するならば,そうした原則を踏まえた上で比較可能なものを公表してもらいたい。