全国学力調査という魔法の杖

 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759で引用した池田央氏の

私はよく、「意味のある調査」と「ナンセンスな調査」という風に分けて呼ぶのですが、「意味のある調査」とは、例えば、ある問題の正答率が高かった、または低かったかが分かるだけでなく、なぜそうなのかを推察できるような質問も同時に組み込まれた調査です。つまり、原因の推定可能なデータが集められるように工夫された質問が組まれている調査こそ、意味のある調査なのです。それに対して「ナンセンスな調査」というのは(今の日本の多くの調査がそうではないかと思うのですが)、得られた結果の原因を、現場の先生の経験による勘や、評論家の意見や判断に基づいて後から憶測するしか方法がないような調査のことです。

と言う指摘。
 よく,学校や教師,教育委員会などが全国学調査の結果で「評価」されること。結果の公表を拒むのはそれを嫌がっているからだという主張がある。それは,全国学調査を魔法の杖と勘違いした主張だ。何度も書いてきたように,全国学調査は学校や教師を評価するために設計されていない。それなのに,そうしたものが「評価」できるとする主張や思いこみがとても多い。
 PISAを例に考えてみると分かりやすい。PISAは「評価の枠組み」を作成し公表している。調査の結果はそれを基にして考察され,公表されている。PISAは調査結果を公表する際に,「後から憶測するしか方法がないようなこと」については追加の調査,追跡調査などを行わない限り,そうしたものは公表しないか,非常に慎重に公表する。その理由は何か。それは調査の「妥当性」「信頼性」に関わる問題だからだ。
 しかし,全国学調査は違う。「後から憶測するしか方法がないようなこと」や調査できないものをその結果から導き出すことについて何ら対策を講じていない。それは,ナンセンスな調査というべきだと思う。全国学調査が「妥当性」や「信頼性」を重視するなら,過剰な解釈を放置することはないからだ。
 全国学調査は何のために行われたのか。その調査から何が分かり何が分からないのか。それを文部科学省などは明確にすべき。そうしたことをしないまま,評価できないものを評価できるとする主張を放置するのは間違っている。
 全国学調査は魔法の杖ではない。それをいくら振り回してみせても,評価できないものがあることには変わりがない。結果の公表を生かすというなら,そこから何が評価できるのか,何が評価できないのかそれくらいは明確にすべき。限界を超えてそれを適用するのはその調査の価値を下げるだけ。