公教育と私教育(再掲)

新潟市教委:欠席児童保護者に督促書 母親ら「親の意思ではない」 /新潟

不登校>児童23人が謎の欠席、学校側13人に出席催促 文科省「聞いたことない」

 以前,

いろんな図式の中からまずは抜け出すこと

で書いたこととも重なるけれど少し書いておきたい。
 Yahoo!の記事に寄せられているコメントを読みながら考えたのは,「公教育」と「私教育」という概念がきちんと検討されないまま,問題視されているなということ。
 不登校を続けている子どもの理由が実際には何なのかこの記事でははっきりしないけれど,保護者が「ホームスクール」つまり「私教育」で子どもを育てるというのは保護者の権利。
 「公教育」と「私教育」というものがきちんと論じられてこなかった中で,こうした事態に「異常さ」を感じるというのは理解できる。けれども,欧米のように「公教育」と「私教育」についてきちんと議論をしないままこれを論じるべきじゃない。
 そして,おそらく「私教育」ではいわゆる「社会性」が身につかないという意見もあるだろう。けれども,それは絶対にそうだというものではない。欧米ではホームスクールの子どもの社会性は思われている以上に高いという研究もある。
 最近,子どもの権利や保護者の権利という言葉を使って,「夜スペ」や「全国学力テスト」「学校選択制」などが議論されている。Yahoo!のコメント欄にもそうしたことが主張されてもいる。けれども,それは「私教育」と「公教育」についてきちんと検討した上で行われている議論ではない。だから「私教育」や「公教育」で追求される「私益」と「公益」の問題が議論されない。
 今回取り上げた記事にあるような問題では,「私教育」と「公教育」,教育における「私益」と「公益」ということをきちんと議論していくべき。それを抜きにしてこの問題は考えるべきではないと思う。