○○の方から参りました

 以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070411/1176270236で書いたことと重なるけれど,○○の方から参りましたと言われると,それを信じて色々と買わされる。それと同じことが「全国学力テスト」でも起きているのだとhttp://polls.dailynews.yahoo.co.jp/quiz/quizresults.php?poll_id=1848&wv=1&typeFlag=1に寄せられているコメントを読んでいると分かる。
 「学力テスト」ですと言われると,子どもの学力が把握できる。何かしらの問題点が把握できる。何かしらの対策がそこから見えてくる。など,本当にそうなのかを確かめないで期待していたり,そのはずだと思いこんでいる。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070318/1174229878で引用したけれど,苅谷剛彦氏が

 何のための学力調査なのか。調査結果は、どのように分析され、どのような知見が導き出されているのか。それらは、教育政策や教育現場の改善にどのように生かされているのか。生かす仕組みについてどれだけ考慮されているのか。こうした点から振り返ってみても、疑問だらけの調査が少なくない。平均正答率を示すだけの調査結果の公表。それほど根拠もなくつくられたかにみえる「設定通過率」を基準に「おおむね良好」との公式見解を出す行政。子どもの意識や生活についての質問紙調査と同時に実施された学力調査も、単純なクロス表の分析や平均値の比較だけにもとづいて、例えば「朝食をとらない子の正答率が低い」といった見解が示されたりする。専門的な視点からみれば、不十分な分析しか行われていない。それが「学力調査の時代」の現状である。「ゆとり」志向が幅をきかせ、ペーパーテストの学力が忌避され、学力論議が無風となってしまった時代への反動からか、2002年以後の「学力調査の時代」はうってかわって、調査をすればよしとする風潮が蔓延しているようにみえる。それが、やったらやっただけの調査の量産を許している。

と指摘するように,今「学力調査の時代」が到来している。そして,それは冒頭で書いたように「学力テスト」といえばこうだろう,こうなるはずという誤解や思いこみ,過剰な期待を寄せることになっている。
 学力テストというだけで,思考停止の状態になる。それこそが問題なのだと思う。それは「○○の方から参りました。」というのと同じ。