大学はずいぶん前からおかしい,それを放置したした社会も同じ

大学がおかしい

 大学全入ということがなぜか「危機」であるかのように言われるけれど,社会が大学で学ぶ知識や技能などを本当に必要とし,それが大学全入時代の到来の要因であるなら問題はない。けれども,社会はそれを求めているだろうか。
 求めもしないのに,大学の門戸だけが勝手に広くなるのはおかしい。そのおかしな状況は高等教育政策の誤りが作り出したのだし,高等教育のおかしな政策について放置し続けた社会のせいでもある。
 口を開けば入り口の厳格化や学生の学力低下,学生の規範意識の低下ばかり主張する今の状況は,無責任体質の極み。先日,「学生の学力保障」ということで学力試験の導入が報道されたAO入試にしても,http://benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2003/12/02shin_03.htmlで荒井克弘氏が,

 現在のAO入試は、多くの場合「学力以外の評価を尊重する入試制度」として位置付けられており、学生の「やる気」や「専門適性」などに重点を置いています。どちらかと言えば「教科学力は必ずしも高くなくても、意欲のある学生を獲得するための制度」といった見方をされていますよね。しかし、現在の一般入試が、有効な学力選抜の基準として機能していない状況があるわけですから、大学によっては、現在利用している評定平均値に加え、独自の学力試験を課すなど、AO入試を学力評価中心に再編するところが出てくるかも知れません。
 実際、AO入試の本場アメリカでは、AO入試は必ずしも「学力によらない指標で受験者を選抜する制度」とはみなされていません。あくまでも「総合的な見地から、より正確に受験生の力を把握するための制度」として位置付けられています。したがって、「やる気」「専門適性」といった指標は、学力を含めた扱いになっています。どうも日本のAO入試は、この事情を誤解したまま、制度だけが拡大したような観がありますね。

と指摘しているように,都合の良いところだけをつまみ食いして拡大した結果生じている問題。それを導入したのは何処の誰か。学生のことを嘆いているその人たちではないか。また,問題にきちんと取り組まずに,「学力低下」論に流れた社会も同じ。
 いわゆる「ゆとり教育」や学生について手厳しいことを言う人たちが,入試の問題になると途端に思考停止。入り口の厳格化などの短絡的な方に流れる。
 大学がおかしいという前に,今の現状をきちんと見て考えたり,議論をしていくべき。