学力不安,教育不信,一度立ち止まって考えてみる

 PISAの結果についてマスコミはそろって不安を煽り始めている。そういう状況の中で出てくる主張は,時間増,いわゆる「ゆとり教育」からの脱却といった的外れなものばかり。
 考えておかなければならないことは,PISAの「リテラシー」という概念が本当に日本で育成されようとしているのか,育成されてきたのかということ。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071130/1196370772で「日本型」という言葉で表現したけれど,日本において一般的に「学力」として想定されてきたもの,されているものはPISAの「リテラシー」という概念とは異なる。一般的には「リテラシー」という概念を単に「応用力」「活用力」などと日本型の学力の延長線上にあるかのように錯誤されている。また,文部科学省などもそれをきちんと説明しない。「学力」という言葉はこれまで一度として「定義」されてこなかった。「学力」という言葉はその時や場合に応じて定義が変わっている。だから,「日本型の学力」と「リテラシー」が混同されるのも仕方ない面がある。
 そうした側面があるとしても,今回のPISAの結果を報道するマスコミの不安の煽り方はおかしい。学力低下に関する報道は毎回,異常なくらい不安を煽るけれど。現場や子どもたちは,PISAの「リテラシー」という概念ではなく「日本型」の学力向上にこれまで取り組んできたし,取り組まされてきた。PISAの結果でランキングが落ちたから,今度はPISAの「リテラシー」を育成しないといけないとマスコミなどは一斉に言い始める。けれども,もう少し時間が経てば,それはいつの間にか「日本型」学力の話へとすり替えられていく。それでは,現場や子どもは混乱するだけ。
 フィンランドがなぜPISAの調査で常にトップであり続けるのか。その理由を考えてみると良い。それは,「リテラシー」という概念が学力観として広く受け入れられ,それを育成することを明確にし,ほとんどぶれることなくそれに取り組んでいるからだ。日本の教育とはその点で大きく異なる。
 マスコミなどが不安を一斉に煽り始めている中で必要なことは,一度立ち止まってそれを外から眺めてみることだ。ランキングが落ちたというけれど,それは大きな変化なのか,それとも違うのか。学力というけれど,それはどんな意味なのか。不安を煽るマスコミの主張を冷静に吟味すること。だから,祭り状態の今はおとなしくしておこうと思う。