テストの意味をきちんと議論してみたら

独自の学力検査結果の一部を開示 愛知・犬山市教委

 愛知県犬山市教育委員会は21日までに、独自に市内4中学校で実施した05、06年度の標準学力テスト結果の開示を決めた。今年度以降も、市民が公開を求めれば、結果を明らかにする方針。「標準学力テストの目的をゆがめ、学校間の序列化を促すことにつながり、無意味な学校間の競争をあおる」などとして、同市教委はこれまで開示しておらず、同じような理由から国の全国学力調査(学力テスト)にも市内の公立校が唯一参加していない。

 市内の男性(57)が4月、「公平な教育が行われているか」「各中学校間に極端な学力の差はあるか」を知るため、2カ年度の学年別、教科別の結果を公開するよう市教委に請求。しかし、翌月、市教委は非開示を決定した。

 全国学力テストの場合も同じだけれども,そのテストによって何が分かるのかというのは,そのテストが実施されてからではなく,テストをどう設計するかで決まる。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759アメリカの場合やPISAの場合について紹介したけれども,彼らは学力テストの制度設計に時間や労力をかけている。そうするのは,彼らがテストを実施し得たいものを得るために必要なことだからだ。
 例えば,この記事にあるように「公平な教育が行われているか」「各中学校間に極端な学力の差はあるか」ということをテストによって素人考えたとき,すでに実施されたテストがそれを解明するのに適した制度設計が行われているかをまず見ないといけない。また,そうした目的を持ってテストを実施することが必要であると考えるなら,テスト結果の公表だけでなく,テストの制度設計についても議論しなければいけない。
 全国学力テストの結果を公表をめぐる議論においても,そのテストから何が分かるのか。そのための設計がなされているかというところには目も向けず,議論もされず。結果を見て,様々なことと短絡的に結びつけられて議論したり,批判されたりしている。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070925/1190673234http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070425/1177451446などで書いてきたけれども,学力テストの意味について混乱がある。これはいわゆる「ゆとり教育」の場合と同じで,各人が様々な意味を付与して結果として方針がぶれたり,誤解や偏見を招いたりするのは目に見えている。
 テストの結果よりも,テストの意味についてまずは議論してみたらどうだろうか。結果だけを見ようとする今の状況では,今後公表されるはずのPISAの結果についても,結果だけが一人歩きすることになりそうだ。