学びは相互作用

【勿忘草】最近の教科書「詳しくはネットで」!?

 「詳しくはネットで」それでいいじゃないかと思う。
 先日公表された全国学力テストの結果では「活用」が課題だと言われている。それは当然だと思った。子どもたちは,学んだことを利用したりつなげたりする。外の世界に開いていくような学びはやっていないし,やるような余裕もないからだ。
 子どもたちは,知識だけは詰め込まれている。子どもには知識を詰め込めばいい。基礎・基本がなければ応用ができない。といったことが声高に叫ばれているから。
 でも,応用・活用する場面や経験がない子どもがどうやって学んだことを生かそうとか,外の世界とつなげようとするだろうか。大人たちは一生懸命,活用とか応用,外とつなげるなんてまだ必要ないというメッセージを送り続けている。子どもは,そうして応用や活用をする機会をどんどん失ってきている。
 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071106/1194275641で新井氏が

 教育の対象者は教育する者が注入しようとする知識や価値をただ受けとる容器ではない。たとえ教育に期待されている役割がそのようなものであったとしても,現実の教育過程はそのように一方的ではありえない。教師が生徒にある知識を教えようとしても,生徒のほうはそれをそのまま鵜呑みにするとは限らない。いかに教師の教え方がすぐれていても,生徒が学習する知識の程度,内容,意味などは一様ではない。これは教育が生徒を拘束する一方的な関係なのではなく,教師と生徒の間,生徒と生徒の間のさまざまな相互作用であるからである。教育は社会過程なのである。

と述べている。子どもの学びは常に何かとの相互作用であり,社会過程だと言うことができる。
 けれども,今「学力」を問題にしている方々や「反ゆとり教育」を主張する方々は,

子どもに,子どもの外に客観的に存在している知識や価値を一方的に注入すること

を学びとして捉えている。
 学びは相互作用なので,外に開くもの,開くときがあって,そして,中に入ってくるもの,中に入ってくるときがある。教室や教科書で学んだことを外の世界で活用する・応用することがあれば,外の世界で学んだことを教室や教科書で活用する・応用することがある。
 「詳しくはネットで」でも構わない。でもその時に忘れてはいけないことがある。ネットで得たものを教室や教科書に戻してみる,外に開いてもう一度中に戻すこと。そういうことを繰り返しやっていくということだ。
 子どもたちが知識を応用できない,活用できないということを嘆く前に,自分たちが応用しなくても知識を,活用できなくても知識をというメッセージを子どもに常に送っていることに気がついてほしい。そして,知識を詰め込んでやれば,子どもはいつかは活用・応用できるようになるということがおかしいというにも気がついてもらいたい。