教科書検定の問題について

【主張】教科書検定 政治介入排し事実正確に

沖縄集団自決 検定への不可解な政治介入(10月3日付・読売社説)

 まず,産経新聞

教科書検定は政治的な動きに左右されてはならない。

や読売新聞の

教科書検定に対するきわめて不可解な政治介入である。

という主張について。何を今更言うかと思う。教科書検定という制度自体「政治」から独立したものではないし,中立なものでもない。そうした制度である以上,今回のような問題は立場や主張は変えてもいつでも起こることだ。
 この国では,教科書や学習指導要領があたかも「政治」から独立し,中立な問題であるかのような主張が当たり前のようになされる。それが間違っている。
 教科書検定の問題についてはhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/searchdiary?word=%b6%b5%b2%ca%bd%f1%b8%a1%c4%eaこれまで何度も書いてきたので詳しく書かない。
 今回の問題は,教科書検定制度の是非を問うべき問題であること。また史実については教科書において確定するような問題ではなく,研究者などが議論を重ねて行うべきものであることが,意図的にか無意図的になのか混同されて議論されている。
 今回,教科書検定制度が政治と切り離せないものであることを証明したのだが,教科書検定制度に政治が介入してはならないというような主張がなされ,教科書検定制度に対する幻想を未だに維持しようとしている。
 また,沖縄でどのようなことが起こったかという問題は教科書において事実認定するようなものではないにも関わらず,教科書には事実しか書かないというこれまたおかしな幻想論を持ち出して,事実認定してしまおうとしている。どちらもおかしな話だ。
 教科書は,アップルの言葉を借りて言うなら,「政治的妥協の産物」である。だからこそ,それを前提として使用しなければならないし,教科書の記述を絶対的なものであるとして子どもに学ばせるべきではない。
 今回の問題は,教科書や教科書検定への幻想から抜け出してこそ議論ができるものだ。なぜなら,その幻想は立場の如何に関係なく都合よく利用されるものだからだ。その幻想を前提とした議論では,互いの論がかみ合うことはない。議論をかみ合わせるためにも,幻想を捨ててそこから議論することが必要だ。