反「学力」反「規範」でいい

学習指導要領 「学力」「規範」の重視が基本だ(9月28日付・読売社説)

 そこまで子どもの学びを“制限”していたのか、とあきれる保護者も多いのではないか。

 何を今更と思う。この国では,学習指導要領から「試案」という言葉が消えてから現在に至るまでこどもの「学び」は「制限」されてきた。学習指導要領に制限され,学習指導要領に基づいて作成される教科書に制限され,それらに基づく授業に制限され,入試に制限され,評価によって制限されてきた。そうした「学び」の「制限」をいかに緩めるか,いかに拡大するかそういうことに現場の教員が腐心してきたことなど思いも付かないのだろう。
 今回の学習指導要領の改訂は,単に「学ばなければならない」という制限の枠組みを取り替えているだけで,学習指導要領の枠は外さない。それは「学び」を制限したことにならないのだろうか。
 また,近年の動きを見ていると○○という「教科」が存在し,そこでは特定の教材が使用され,特定の内容について特定の方法で授業が行われ,特定の方法で評価されていることが「学んでいる」証であるというような貧困な「学び」が強調されている。道徳の教科化はまさにそれだ。
 「道徳」という教科の時間が存在し,そこでは特定の教材が使用され,特定の内容について特定の方法で授業が行われ,特定の方法で評価されていることがまさに「道徳を学んでいる」のだと捉え,それによって「規範」が高まるのだと考えられている。また,教材等の多様化とは,国問うが公認した教材の中から選択することであり,それは多様化とは呼ばない。それは「学び」の制限であり,そこでまなぶ「規範」というものは皮相なものになる。
 「規範」は様々な文脈の中で学び身につけるようなものではなく,学校において「道徳」という教科で学ぶものへと変化する。それは「規範」を「学ぶ」ことを制限していることにはならないのだろうか。
 「学力」や「規範」という言葉が非常に単純化され,表面的で一面的な「学び」の中で捉えられようとしている。そうした動向は「学び」の「貧困さ」へとつながり,「学び」を閉ざすことにつながる。だからこれからは,反「学力」反「規範」を強く主張していく。