「ゆとり教育」も「ゆとり教育からの脱却」も同じこと

【主張】学習内容復活 削り過ぎはさらに見直せ

 数日前から中教審がいわゆる「ゆとり教育」で削られたものを復活するというのが次々と報道されている。すると,それを見て「ゆとり教育からの脱却だ」と歓迎するムードが漂い始めた。なぜそうなるの?と思う。
 数日前から報道されていることは,「ゆとり教育からの脱却」と言いながら実際には「ゆとり教育」と同じことが行われている。「ゆとり教育」が根拠もなく教える内容を削減していったのだとするなら,「ゆとり教育からの脱却」は根拠もなく教える内容を元に戻すということだ。元に戻すだけではなく,さらに追加しようという動きまである。そうした動向がなぜ批判されないのだろうか。
 「ゆとり教育」と「ゆとり教育からの脱却」がなぜ同じことだと言えるのか。それは両者がコインの裏表になっているのであり,「都合」次第でいつでもひっくり返されるものだからだ。その「都合」は「雰囲気」「ムード」に常に左右される。そうして同じことが繰り返される。そこには理念もなければ哲学もない。確たる根拠もない。そうした動向を批判しないのはなぜか。
 「ゆとり教育」も「ゆとり教育からの脱却」も同じ。愚かなことを繰り返している。そういう今の状況を歓迎することはできない。