改めて「教育は誰のものか」を考える

 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070419/1176994119で大内裕和「教育は誰のものなのか 教育基本法「改正」問題のアリーナ」というのを紹介した。
 この問題をもう一度取り上げたい。教育改革が必要であると多くの人は言う。しかし,それはどこまでも教育行政内部のポリティックスの問題でしかなく,そこに「私たち」は登場しない。「私たち」は教育行政内部のポリティックス,勢力争いを外から眺めて,いろいろなことを言っているに過ぎない。
 教育改革は教育行政内部のポリティックスの問題である。だから,この国において「教育」は教育行政のものである。「私たち」はその「教育」をただ「消費する人」であり,そこで問題になるのは,メニューの中からいかにして自分のためのメニューを選び取るかということでしかない。
 「私たち」は「教育」を所有していない。所有しようともしていない。「教育」は与えられるものであると考えている。「チャータースクール」「ホームスクール」といったことがほとんど議論されないことがその証拠だ。
 今進められている教育改革は,教育行政内部で問題となっていることを解決しようとして行われている。そこでは「私たちのため」ということが強調されているけれど,実際には教育改革は彼らのためにしか行われない。
 「教育」を彼らは手放さない。そして,「私たち」も彼らが「教育」を手放さなくても良いと思っている。
 「教育」を「私たち」が所有しないという状況をこれからも続けていくのか,それとも「私たち」が「教育」を所有するのか。少し真剣に考えてみる必要があるのではないか。